∑考=人

そして今日も考える。

人海戦術が質を決めるものは面白くない

私は人海戦術が通用するものが好きではない。質を量で補完できてしまうもの、と言ってもいい。これらのものは上手く言い表せないが面白くないし、フェアでないように感じる。

 

人海戦術が通用しないものとは、例えばスポーツである。どんなスポーツでも必ずコート上の人数が決まっている。野球なら9対9、サッカーなら11対11、バスケなら5対5である。こういう制約のもとに対決をするから勝利に意味があるし、勝利したチームの強さ、能力に説得力がある。

 

ただ、もしスポーツが人海戦術が通用するもの、すなわち、何人出場してもOKだったらどうなるだろう。人数が多いチームが勝利する確率が極めて高くなるだろう。ただ、大勢で勝利を掴んだチームのメンバが果たして能力が高いといえるだろうか。高いかもしれない。でも、大した能力がない可能性の方がはるかに高い。これでは面白くない、だからスポーツには人数制限があるのだ。

 

アートの分野も人海戦術が通用するものではない。例えば、プロの作曲家1人が作った曲より、100人が集まって考えた曲の方が良い、という可能性はかなり低い。小説も絵画も、沢山の人が集まって書いた作品の方が良い、ということにはならない。

 

せいぜい、同じ時間に沢山の曲を作ることができたり、沢山の絵画を描くことができるだけである。そして、アートというのは量ではなく質で評価されるため、人海戦術は通用しないのだ。

 

実はこれらは私たちが学生の頃によく触れていたものである。逆に言えば、学生の頃にやらされる種目はほとんど全てが人海戦術の通用しないものだった。絵をうまく書けた人には美術の成績が良いし、リコーダーが上手く吹ける人は音楽の成績が良い。これらは全て個人の能力のみ評価される。そもそも「テスト」という仕組みが個人の能力を測るものでしかない。だから、学生時代は個として突出しているだけで勝てるのである。

 

ただ、社会に出ると、これが180度変わる。企業の売上ランキングを見ればすぐにわかることだが、上位にランクインする企業は必ず社員数が圧倒的に多い。言うなれば、学生の頃は100点を取ったやつが文句なしの1位であったところが、30点を取ったやつが5人集まって総得点150点ならそっちの方が上、という扱いになるのだ。

 

システム開発もはっきり言って人海戦術的な仕事だ。確かにプログラマーの生産性は優秀な人とそうでない人とで10倍以上もの差があると言われる。でも、ビジネス的には、優秀なプログラマーより単価が10倍安い要員を10人外注すれば何の問題もないのだ。

 

また完成するシステムの質もコーディングの量に依存する部分が大きい。建築であれば、物理的な大きさを持っているため、単純に規模が大きいことが良いこととはならないだろう。

 

しかし、システムの場合、特にビジネスロジックの関する部分は人間には見えない部分のため、いくらでも規模を増やすことはできる。もちろん、効率的に少ないコーディング量で作り上げるのが理想ではあるが、コーディングの量を増やすほど機能を充実させることはできる。

 

結局量が質を決めてしまうため、個人でプログラミングを行うのはかなりの覚悟が必要である。私もアプリを開発しようと思っても、他のアプリ(会社が作っているようなもの)を見ると、モチベーションが一気にそがれてしまう。このレベルのものを一人で作ろうとすると途方もない月日が必要だし、かといって個人でできるレベルのものを作っても自分の作品としては納得がいかないものになってしまうからだ。

 

それこそプログラミングが自動化されるぐらいに技術が進歩して、それこそ個人でも完成度の高いシステムを作れるような時代になった方がいいなぁと常々思う。