∑考=人 〜プロメテウス〜

そして今日も考える。

感情の数値化

CAEは機械製品のみならず、宝石の加工にも利用されている。精密加工は人間が担当するよりも機械に任せた方が正確で速いのだ。しかし、宝石の加工には未だに多くの人の手が関わっている。発掘段階の状態による選別、そして、最終的な細かい研磨作業などもやはり人が担当する。なぜかというと、「機械にはできない」からである。これはあらゆる製造行に当てはまるかもしれない。

 

 

機械は多くの場合、人間よりも正確であると考えられている。例えば、製造工程を機械で制御すれば、できあがる製品の形状や質はほとんど同じになる。人間の場合はどんなに熟練の職人でもこういった芸当は不可能だ。傍目には同じように見えても、機械によって作られた製品とは誤差のオーダーが全く異なる。

 

 

にも関わらず、最終的な細かい作業や判断、つまり、製品自体の評価は必ず人間が行うことになる。こういった「あるものを認識して、それが本当に正しいかどうか」を判断するのは現時点では、プログラムで制御するのは難しいのだ。最近はパターン認識という分野の発展も目覚しいもの、特に3次元物体の形状を認識するともなると、どんなイレギュラーが紛れ込むかわからない。あらかじめ決められたルールの中でしか評価できない従来のプログラムでは、イレギュラーに対応できないのだ。

 

 

しかし、だからといって、「人間の方が機械よりも優れているのか」と言うと、そうとも言い難い。人間もミスをする生き物だからである。違いがあるとすれば、人間のミスは偶発的であるが、機械のミスは必然的である(と考えられている)ことだ。例えば、人間と機械がそれぞれ1000個の部品の形状チェックをするとしよう。人間はイレギュラーが含まれていた場合にも(上司に相談など)別の対応ができる。これに対し、機械はイレギュラーには対応できない。つまりイレギュラーがあれば、必ずミスを犯してしまうことになる。

 

 

当然、反対の面もある。コンピュータは明らかに基準を満たすものを判別ミスすることはない。あらかじめそのようにプログラムされているからだ。それに対し、人間は明らかに評価基準を満たしていないものであっても、集中力の途切れなどから、ミスをしてしまう場合がある。1000個もの部品で一人でチェックするとすれば、いくつかミスが含まれると考えるのが妥当であろう。しかしその場合は、ミスをした本人が悪いことになる。なぜなら、多くの場合、ちゃんと集中してチェックしていればミスは防ぐことができる(と考えられる)からだ。

 

 

これが今でもなお、宝石加工には大量の職人が在籍している原因だと私は考える。これは少なくとも、「人間ならミスを無くせる」という前提に立っているから成り立つのである。「人間は0.1%のミスは確実に犯す」という前提に変われば、じゃあこんなに人件費を割いてまでミスを無くす努力をするよりも、むしろミスを当然と考えた上で、機械に任せた方が良いはずだ。でもそういうことはしない。なぜだろう。

 

 

少し話は変わるが、自動運転機能を搭載した自動車にも同じことが言える。今や、無人で運転できる車がすでに開発済みだ。かなりの安全性を備えており、長期的な実験段階でも事故を1回しか起こしていないぐらいのレベルである。それでも、その車に完全に運転を委託できるだろうか?長年自分で運転してきた人ならなおさら、そうはしないだろう。

 

 

 

製造物のチェックや、運転を機械に中々代替できないのは、予想外の事態が起こったとき、人間は100%の安全を達成する余地があるのに対し、機械には必ずミスがつきまとう(と考えている)からだ。原発事故の例もある。

 

 

かっこ付けで考えていると何度も書いたのは、これは一つの考え方でしかないからである。実際人間が運転していても、事故は日常茶飯事に起こっている。自分が事故を起こすはずがないと考えている人もどんな形で事故を起こすかわからない。自分が運転しても無人車が運転しても100%安全はありえないのである。それは今までの統計データからも実証されている。実際、無人自動車を開発した人の中には、無人自動車の方が安全であると述べる人もいる。

 

 

つまり、99.99%の安全は100%保証されている機械よりも、100%の安全の可能性が1%でも残されている方を多くの人は好むのだ。人間の感情はやはり数値化できないということだろう。