∑考=人 〜プロメテウス〜

そして今日も考える。

ミーティングは合理的なのか

大企業の社員のスケジュールは打ち合わせだらけ。毎日のように打ち合わせがある。就活時に抱いた感想である。開発職で就職した先輩もそんなことをぼやいていた。ミーティング、会議、呼び名は様々だが、要するに人が沢山集まって話し合う場が多く設けられている。会社全体のベクトルを統一するためにも、多くの人で情報を共有する必要があるからだ。報連相の全ての要素が詰まっている。さぞかし大切なのだろう。



ただ、最近は反対意見もよく聞く。会議は時間の無駄。社員の給料に見合った価値を生み出さない、などなど。どちらかと言えば私もこの意見に賛成である。私はまだ社会人ではないので実際のところ打ち合わせに価値があるかないかはわからないが、大学院生になってからは基本的に毎週ミーティングが設けられている。ミーティングそのものの時間、ミーティングのための資料を作成する時間、進捗をでっち上げるための研究、などが費やされるため、本来の研究時間は大幅に減ることになる。



もちろん、ミーティングが無意味とは思わない。やはり学生としては教授のアドバイスは役に立つし、そのためには自分の研究についての報告も必要だろう。他の研究をしている学生達が集まるからこそ得られる視点もある。が、費用対効果で考えた時に、果たしてどちらが良いのかと判断することは難しい。いわゆる数字には現れない部分なのだ(大学院生なので、どのみち数字には現れないが)。これは社会に入ってもおそらく同じことであり、だからこそ打ち合わせについては賛否両論分かれるのだ。



ミーティング支持派は報連相が大切、ミーティング反対派は実際の業務が大切という考え方に基づく。建前上は。本音はどうなのかについては、私の中ではおおかた結論が出ている。ミーティングを支持するかどうかは、「おしゃべりが好きかどうか」にかかっている。大学院生活を1年と半年過ごして感じた。教授たちは議論が大好きである。ゼミの発表の時も、気がつけば教授たちで勝手に議論を展開して盛り上がっていることが多い。学生は誰もついていけていないのだが、そのことを問題視することもなく、ただ彼らが楽しむための場として手配されているようにしか思えない。言ってみれば、少し高尚な飲み会なのだ。



一方で私のようにおしゃべりが嫌いな人間は、ミーティングが必要と思わない。役に立たない、というより、面白くないからである。例外として、気の知れた人と一緒に働くことになれば、あるいは一緒に働く仲間と上手く友好関係を築ければ、ミーティングを支持する可能性は十分にある。結局、合理的に考えてどちらが良いか判断ができないときは、自分がしたい方を選ぶのが人間、なのだ。



一見、合理的に選択された選択肢の中にも感情が含まれていることが多いから面白い。