∑考=人 〜プロメテウス〜

そして今日も考える。

イケダハヤト氏にまつわる論争

最近イケダヤハトさんの記事をよく読むようになりました。この人面白いんですよ。なんか共感できるものがあります。今は特定のジャンルにこだわっていないようで、多様性があるのもいい。「なぜ人をコロしてはいけないのか」みたいな哲学的エントリもあります。



前から名前は知っていました。ノマドとかブロガーとかで結構有名になっており、色んな本でも引用されています。ただ、あんまりいい印象ではなかったんですね。著名人の彼に対する意見は批判の方が多いですから。まぁ記事を読んでいれば批判されるのも納得がいきます。



で、この人やばいなと思ったのは、自分に対する批判意見に対して、さらに批判ブログを書くんですね。そして論理的に批判を展開する。今日のエントリではツイッターのアカウントを名指しで批判しています笑。これは結構タブーですよね。ちきりんさんの許される方向、許されない方向でも述べられているように、強者が弱者の批判をするのは社会的に許されない行為とされているからです。ただ、彼はその流れに逆らっている。



今日の批判はある匿名の人物(おっさん)とアドバイスに対する考え方の議論ですが、遡ってみると、アドバイスの枠を超えた、かなり長期的な論争(喧嘩?)であることがわかります。もはや論点が、「イケダハヤトという個人が正しいのか正しくないのか?」にすり替わっている気がします。しかもこの議論は個人同士の範疇に収まっていません。これがすごい。



両者の(特にアンチイケダハヤト側の)意見はかなり膨大なので、全てに目を通すことはできません。が、それなりにどちらも論理的な主張をしているようです。一部抜粋して簡略化するとこんな感じです。



イケダ氏:「求めてもいないのにアドバイスはするべきではない」
理由1.相手より自分が上だという思考に基づくから(自分が困るから) 

アンチ:「赤信号を渡ろうとしている赤ちゃんにはアドバイスが必要」
理由1.赤ちゃん自体が困るから
理由2 .事故を起こす人も困るから
理由3.結果的に社会全体が困るから



アンチ意見は沢山ありました。一種の問題のすり替えが発生していますが、かなり正論ですし、社会的に善な主張に聞こえます。イケダハヤト氏の主張は、アドバイスをすると、受け手にとって迷惑がかかる、というのに対し、アンチの主張は、アドバイスをしないと、受け手だけでなく周りにも迷惑がかかる、という包括的な視野で捉えていることがわかります。なので、全体で見るとこちらの意見の方が支持されるのかな、という印象です。



しかし、アンチの方は「社会的に善ならば必ず正しい」みたいな決めつけがあって、なぜ、社会的に悪いことがいけないのか?とかそういうレベルの掘り下げには至っていません。社会的に悪いことを支持するつもりはありませんが、そういう思考を働かせることは議論においては大切です。事実、程度の差はあれ、一人の人間が生きるだけで誰かに迷惑はかかっています。



そのため、「なぜ、人をコロしてはいけないのか」みたいなことを考えられる人と議論をしても、平行線をたどってしまうでしょう。個人的には社会的な善というのも、結局は一人一人の「わがまま」塊みたいなものに過ぎないと思っています。戦争がいけない、というのも究極的には、「戦争によって自分の命や大切な人の命が奪われるのが嫌だから」というわがままの集合体です。鬼畜みたいな考え方ですけど、こういった誰かの「わがまま」のお陰で自分が生きていけるのも事実として認識する必要はあるでしょう。



ただ、私が疑問に思うのは、この議論の目的はどこにあるのか?という観点なんですね。お互い自分の正当性を主張したいだけの意味のない議論なのかな、とはじめは感じてたんですが、イケダ氏に限ってはそれだけが目的とも限らないんですね。というのも、彼はブロガーとして面白いコンテンツを創るのが目的です。その一環として、批判意見に真っ向から対立するような議論をふっかけている可能性があります。むしろその可能性が高い。一般的に有名になった人は批判意見をスルーするのが定石にもなっているものの、エンターテイメントとしては新しいし、実際に反響もかなりあるようです。つまりビジネスの観点で、批判意見をリソースとして活用するのが議論の本当の目的、と考えることができます。「暇だからやっている」という皮肉にも取れるコメントもありました。



問題なのは、アンチ側なんですよ。彼らが表面上は、イケダハヤト氏のため、というよりは、私みたいな若者が変な考え方に洗脳されるのを防ぐために批判をしていると主張しています。社会のため、というやつです。百歩譲って彼らの意見が絶対的に正しいとして、いつまでも聞く耳を持たないイケダハヤトに対してしつこく批判をすることに大きな意味があるのでしょうか。彼らがどんな日常生活を送っているのかは知りませんが、ちゃんと批判するためにはかなりの労力が必要です。本当に社会のことを考えているなら、別の方法とる方が合理的なのかなと思えます。



すると、アンチ側は必死で社会に自分の主張を呼びかけているつもりが、まんまとイケダハヤト氏の噛ませ犬に成り下がっている可能性があるんですね。批判しているつもりが、余計にイケダハヤト氏の意見を拡大させるきっかけにも繋がっている。これじゃ本末転倒ですね。実は赤信号を渡っているのは自分自身だった、ということにも成りかねません。



戦争反対、地動説などなど、本当に主張していたことが正しかったとしても、それが証明されるのは何年先になるかわかりませんし、自分の人生はかなりの犠牲を払うことになるでしょう。物事の正当性にあくまでこだわるならば、身を滅ぼすことを覚悟しなければならないのかもしれません。