∑考=人

そして今日も考える。

キャッシュフローのねじれ

近年のビジネスモデルはどう考えても不平等にできています。特にIT系ビジネスで顕著です。例えばソーシャルゲーム産業では、ヘビーユーザーのアイテム課金や広告収入が収益のほとんどです。それに対し、ライトユーザーはというと、タダで遊ぶことができます。しかし仮に、ライトユーザーしかいなかったとすれば、事業は継続できません。これはなぜでしょうか?



もちろん、ソーシャルゲーム自体にはちゃんと価値があるからです。ここでの「価値」は人の労力がどれくらい加わっているかの指標です。実際、成果物こそが大切だと言われていても、人の手がどれだけ加わったかを元に価格も付けられているからです。



それを一部のヘビーユーザーが課金アイテムを購入してくれるお陰でビジネスが継続できます。単純化のため、広告収入はないものとしましょう。ライトユーザーだけでは収入が0で大赤字になるはずが、ヘビーユーザーがアイテム課金することによって利益が生まれるということは、当然ながら、ヘビーユーザーがライトユーザーの分のお金を余分に払っていることになります。



で、問題なのは、課金アイテムの実際の価値はどれくらいあるのか、ということです。ソーシャルゲーム全体で考えたときに、課金アイテムの作成に関わった労力はかなり小さいものじゃないですか。「課金しないで遊ぶソーシャルゲーム」と「課金ありで遊ぶソーシャルゲーム」は、喩えて言うなら、「ブラックコーヒー」と「砂糖とミルク付きのコーヒー」ぐらいの違いしかないと思います。



このスタイルは、フリーミアムという名前も付いていて、凄いビジネスモデルだー、と世間では何年か前から盛り上がっていますが、やってることは結構ひどいですよね。1番の良心的なお客様から搾取しているんですから。「砂糖とミルクいらない人はコーヒー無料だけど、砂糖とミルクが欲しい人のみ一杯1000円です」ってスタバに行きたいと思いますか?本質的には同じことをしています。



でも、そんなスタバで1000円を払ってしまう人がいます。それは「コーヒーの相場はどのくらいなのか?」「砂糖とミルクの値段がどのくらいなのか?」を知らない人達です。もちろん日本にそんな人はほぼいないでしょう。でもそれがソフトウェアの値段の相場となると、実は何にも分かっていない人が多いのです。



私たちはソフトウェアのゲームの値段の相場は知りませんが、ハードウェアとして売られていたゲームソフトの相場は知っています。せいぜい5000円~10000円ぐらいの間でしょう。だから同じゲームがスマホだと100円で購入できるだけでも、凄く安いような錯覚を起こしてしまうのです。課金アイテムについても同様で100円だから安いと考えてしまいます。でも、ソフトウェアには材料コストがかからないため、一度作ってしまえばあとはいくらでもコピーできるのです。つまり、使う人が増えれば増えるほど、値段は反比例して安くなります。もちろん、一般的な製品の場合でも買う人が増えれば値段は安くなりますが、それとは下がり幅が全く異なります。そのため、消費者は安いと感じながらも、それでいて、労働力の観点では実はもっと安い価値しかないのです。これが儲かる仕組みです。



私はフリーミアムというより「キャッシュフローのねじれ」だと(勝手に)思っているのですが、これはこれで、は多くの消費者にとってはすごく有難いことです。ただし、ごく少数の本当の顧客にとっては、その不平等性からも必ずしも良いものとは言えない気がします。なかなか理想ばかりは追えないようです。