∑考=人

そして今日も考える。

飲酒運転はなぜダメなのか?

初めに、タイトルに対する私の答えとして、飲酒運転はダメなことだと断言しておきます。ただその上で、結局飲酒運転の何がどういけないのかを考えようとするのが今回の目的です。



飲酒運転はほぼ全国民にとって「いけないこと」だと認識されている一つの問題だと思われます。ではなぜそれがいけないことなのでしょうか。当然ながら、飲酒時の人間は通常時とは大きく異なります。アルコールによって、興奮状態になり、ささいな判断ミス等を犯しがちになることは科学的にも証明されているでしょう。つまり、飲酒運転は事故を誘発しやすくなるからいけない、ということになります。



忘れていけないのが、無関係の人を巻き込む恐れがあるということです。飲酒運転をした結果、その人が勝手に死ぬのなら自業自得なので、まだ良いでしょう。しかし、全く関係のない人々の命を奪うとすれば、やはりそれは許されることではありません。



しかし、飲酒運転をすると事故確率が上がるか、というとそれは必ずしも真実とは言えないのです。もちろん、データで見たときに飲酒運転が事故を起こしやすく、特に死亡事故などの重大な事故を引き起こすことはわかっています。しかし、それは国民全体で見たとき、マクロの視点における事故確率です。



これに対し、ミクロの視点で考えると、必ずしも飲酒運転が事故確率をあげてはいないのです。少なくとも飲酒運転をする人たちはそう認識しています。なぜなら、仮に飲酒運転を100回した経験があっても、実際に重大な事故までは起こしたことがない人の方が多数派だからです。個人レベルで考えてしまうと、飲酒が事故の原因になるとは考えにくいのです。



さらに、経験が蓄積する分だけ、「自分は飲んでいても大丈夫だ」という自信が生まれます。一部のバカな人だけが、泥酔状態で運転した結果事故を起こしているだけであり、自分はそうはならない、という認識です。正直なところ、私も昔は日常的に飲酒運転をしていましたし、事実このように受け止め方をしていました。これが飲酒運転がなくならない原因です。



また、規制が強化されることにより、飲酒運転に対する罪悪感のようなものがより一層減ってしまっている気がします。はっきりいって飲酒運転をする人の一番の心配事は「警察に見つからないかどうか」だけです。事故の心配をしている人なんてこれっぽっちもいません。本当に問題なのは、事故を起こして無関係の人を事故に巻き込んでしまうことにこそあるはずなのですが、今やそれを心配をしている人はどれほどいるでしょう。



そして、規制が厳しくなっているとは言え、検問の時間帯や場所はある程度ルーチン化されているので、バレないことはさほど難しくないのです。そのため、「どうせバレないからいいや」という発想で、飲酒運転を繰り返すことになります。



で、飲酒運転を絶対悪のような考え方をする人もいますが、それはそれで思慮が浅いように感じます。第三者を巻き込むから飲酒運転はダメ、というのは一見正しい意見です。しかし、飲酒運転をしている人にとっては、「別におれは事故を起こさないから大丈夫」という言い訳ができるわけです。現に事故をまだ起こしていない段階では、事故を起こす「可能性」があるに過ぎません。



では飲酒運転はしないけど、車は日常的に運転する、という人に罪はないのでしょうか。車を日常的に運転している時点で、事故を起こす「可能性」はやはり存在するでしょう。これをないと断言できる人は、飲酒運転をする人と同じ思考回路を持っています。



当然ながら、運転をしている限り、事故を起こす可能性は0ではありません。じゃあなぜ、普通に運転するのは許されて、飲酒運転は許されないのか。結局これも程度の差なのです。五十歩百歩ということわざとは裏腹に、この世では50歩逃げた人が正しさを主張し、100歩逃げた人を虐げている構図がよく見られます。



つまり、何が言いたいのかというと、論理的には飲酒運転がダメな理由も、飲酒運転が許される理由も証明できないということです(少なくとも私には)。少なくとも、考えた上で飲酒運転を批判してください、と私は思います。そして、全ての人間がこんな考え方をすると困りますが、こういう少数派の意見に多数派がちゃんと耳を貸してやることで問題はより良い方向へと向かっていくのではないでしょうか。