∑考=人 〜プロメテウス〜

そして今日も考える。

何かを頑張る本当の理由

人は何かを達成したい、何か成果を残したいときに『頑張る』という行動をとります。『頑張る』という言葉の中には少なからず、苦労、我慢のニュアンスが含まれています。何かを頑張る理由は、今の自分では手に入れられないもの、たどり着けない状態を望むからでしょう。そのことに間違いありません。



ただ、それは短期的な捉え方でしかない、と個人的には考えています。最近私が感じるのは、人間は『ちゃんと諦める』ために頑張るのではないか、ということです。諦めるという言葉にネガティブな印象を受ける人も多いですが、実は一つの諦めは、一つの階段を上ることと同義です。決して広い意味で何もかもを諦めてしまうことを意味するわけではありません。



これは明らかに矛盾しています。何か得たいものがあって、それを手に入れるために頑張るのが普通なのに、それを諦めるのが目的、という主張ですから。ならば、初めから頑張らなければよい、ということにもなりかねません。



しかし、『ちゃんと諦める』というのがミソです。人間は自分自身がちゃんと取り組まなかったことについては、行動的には諦めていても、感情的には諦めきれていません。例えば、過去に対する執着心も、まだ気持ちの上では諦めがついていない証拠なのです。そして、その執着があるばかりに別のスタートへ踏み切ることができないのです。ちゃんとやった上で、できなかったことは、もう自分には絶対に無理だという確信が芽生えます。



面白いもので、人間は絶対に無理なことに対しては、それほど大きな欲求を抱くことはありません。例えば、自分の体一つで空を飛びたいとは思いません。絶対にできないことは簡単に諦めることができるのです。すると、絶対にできないことを諦めた分だけ、別の方法に挑戦することができるのです。



ライト兄弟は諦めなかったことで空を飛ぶことを叶えた偉大な人達としてよく引用されています。でも、ライト兄弟が自分の体一つで空を飛ぶことにこだわっていたとしたらどうでしょう。あるいは鳥のように羽ばたく乗り物に固執していたとしたらどうでしょう。まだ私たちは雲の上の景色を見ることができないでいたかもしれません。



つまり、ライト兄弟はいくつもの方法を実際にやってみることで『ちゃんと』諦めたのです。そして諦めた回数だけ前に進み、空を飛ぶことを可能にしました。多くの手段を諦め、一つの目的だけは最後まで諦めない姿勢が不可能を可能にしたのです。



そして、私たちがよく考えなければならないのは、今まさに頑張ろうとしていることは、手段なのか目的なのか、ということです。短期的にはそれ自体が人生の目的のように思えることもあるでしょう。そして、簡単に何でもかんでも諦めてしまえばいいということでもありません。成し遂げるためにかかる期間は目指す物事によっては異なります。しかし、ちゃんと取り組んだ後に、ちゃんと諦めることができないと、本当の目的を見失ってしまうことにもなります。



本当の目標に近づくために、ちゃんと諦める。ちゃんと諦めるためにはちゃんと頑張る。もちろん、頑張って目標が達成できれば最高ですが、目標が達成できなかったとして、マイナスなことなど何もありません。執着を捨てた分だけ、新しいことができるのですから。