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そして今日も考える。

年金は貯金ではなく募金

私は今になっても年金を払っていない。ありがたいことに、学生という身分のお陰で免除される仕組みがあるのだ。年金を払う期間が少ない分、老後に受け取れる年金も少ないのかもしれないが、その点は特に気にしていない。

 

 

 

近年は比較的多数の人が年金を払っていない。平易な言葉で言うと、払い損になるからである。政府に対する不信感ももちろんそうだが、現代の制度的に払った分の年金額は受け取れない。

 

 

 

現在の年金制度は賦課方式という方法で成り立っている。これは現役世代が収めている年金が、老人達へと給付される仕組みである。年金を貯金感覚で収めている人もいると思うが、基本的には募金のような形に近い。

 

 

 

ただの募金とは異なるのは、若い頃に募金していた人は、老後には逆に別の若者から募金してもらえますよ、という保証が(一応)存在することである。しかしながら、少子高齢化がいまだ進んでいる日本においては、払った額を丸ごと受け取ることはできない。だから払い損になる、というわけだ。

 

 

 

この賦課方式は、人口ピラミッドが常に安定していないと歪が生じるようになっている。一度不安定になれば、年金額を調整する必要性が出るのだ。思慮の浅い制度だと思う。とは言え、メリットもないのにこんな制度を採用しているはずもない。賦課方式には良いところもあって、時代による貨幣価値の変動を除外できるのである。

 

 

 

仮に、自分自身で定年までに3000万円のお金を自分で貯金したとしよう。すると、自分が若い頃の3000万円と年老いてからの3000万円の価値が全く異なることもある。貨幣価値は常に相対的に定まるからだ。インフレになると、物価が上がる。

 

 

 

例えば、今はジーパンが1着1000円ぐらいで手に入るが、超インフレになって、1着10000円でしか手に入らなくなるとする。すると貨幣価値自体は下がったことになるのである。円安や円高の考え方と同じである。面白いことに、不況だデフレだと叫ばれている現代も、貨幣価値は高いことを意味する。

 

 

 

結局のところ、どちらの年金制度が良いわけでもなく、むしろ年金制度自体が非常に不確かなもので、そんな制度に自分の老後を任せてしまう事自体が愚かであるということである。貯金をしたって貨幣価値は変わるのだから、なるべく価値の変わらないものへ変えておく方がいい。自分に投資する、という言い方がよくされるが、あながち間違っていないと思う。

 

 

 

さて。私が言いたいのは決して年金なんて収めなくてもいい、ということではない。年金は貯金ではなく募金。自分を育ててくれた国、上の世代に対する感謝の気持ちとしての募金、寄付であるべきではないだろうか。とは言え、自分が生きていることに対して上の世代に何一つ感謝できないのなら払う必要はないし、自分の老後のためにお思って年金を支払っているのなら、止めてしまった方がいい。