∑考=人 〜プロメテウス〜

そして今日も考える。

状態を夢にしてはいけない

英語の動詞には動作動詞と状態動詞という区分が存在する。簡単な違いとしては、進行形をとるのかとらないのか。例えば、run(走る)という動詞はrunning(走っている)と進行形にすることができるので動作動詞であるが、have(持っている)という動詞は、基本的にhavingとは表現しない。このような動詞を状態動詞という。日本語ではすでに「~している」という形に表現されるように、すでに進行形の意味を含んでいる動詞と考えてもいいだろう。



話は変わるが、子供の頃に先生に無理矢理考えさせられた夢はたいてい状態動詞だったのではないだろうか。具体的に言うと、野球選手になりたい、歌手になりたい、ケーキ屋さんになりたい、総理大臣になりたい、などなど。「○○になりたい」という夢は、全て「○○である」状態を望んでいるというわけだ。



子供の頃なら別にそれで構わない。ただ、大人の夢はもっと具体化されているべきだと思う。少なくとも、「○○がしたい」、つまり動作動詞の形にはなっていなければならない。というのも、望んでいる状態が手に入ったところで、状態がもたらす満足感など、永続的なものではないし、本質的なものでもないからだ。



夢という言葉は少し大げさなので、もっと身近な例で考えてみるとする。例えば、合コンで気の合う異性と出会ったとしよう。あなたがその人に好意を抱いたなら、その人の恋人になりたい、と望むかもしれない。しかし、それは必ずしも真実の欲求とは異なる。恋人であるという状態自体は何ももたらさない。本当の欲求は、恋人という立場でしかできないことをその人としたい、ということであろう。



プロ野球選手になりたい、というのもそうだ。試合にはほとんど出られない上、有名でもないプロ野球選手になって夢が叶ったと満足する人がどれほどいるだろう。大切なのは、大舞台で野球をして活躍することではないだろうか。



このように、実は望んでいる状態自体を手に入れることは必ずしも本当の欲求を満たしてくれるわけではないのである。先に挙げたような、状態からその状態の意味する動作自体を容易に想像できる場合は特に問題はない。しかし、そうでない場合は、色々と不都合が生じる。



一般的な職業の場合は、状態と動作にかなりのギャップが存在することが多い。そして、パイロット、看護師、教師、コンサルタント、システムエンジニア、建築士など、実態はよくわからないが、名前の響きだけでついつい憧れてしまいそうな職業も多数存在する。



こういった職種に対してイメージだけで興味を持ちすぎてしまうと、実際にその業務を経験して落胆してしまう可能性が高い。これが、憧れだけで夢を決めてはいけないと言われる所以だ。状態(職種)が意味する動作(業務)が、自分の本来の欲求とはかけ離れているためにこういう失敗が起こる。



このことは、子供の頃の夢を叶えた人が必ずしも幸せになれるわけではないことを教えてくれる。教師になりたい、と思う人は本来教えるのが好きな人、得意な人であるべきだが、子供の頃に人に教えるのが好きだからという理由で教師を目指す人はほとんどいない。英語が得意だから英語の教師とか、数学が得意だから数学の教師とか、そのぐらいの論理の飛躍を経て教師に憧れてしまっている。



子供の頃にイメージ先行で夢を決めてしまうのは仕方がないだろう。しかし、厄介なことに、こういった職種は早い段階(つまり、それほど夢が確固たるものになっていない段階)で、教師の輩出に特化した大学に通う人も多い。そして、そのまま他の道を模索することなく教師になってしまう。もちろん、教師の教育を受ける過程で教えることの面白さに気づく人もいるだろう。しかし、そうでない人は子供の頃の夢が叶ったはずなのに、なぜかあまり満たされないというジレンマが発生するのだ。



最近人気のコンサルタントという職種も、実はほとんどが営業と同じような業務であることを知ったら、何人の人が幻滅するだろうか。幻滅する人は、コンサルタントの業務ではなく、イメージや憶測でその状態を望んでいたに過ぎない。状態がもたらす充足感だけで精神は長続きしないし、破綻することに可能性が高い。ちなみに事実として、ただの営業にコンサルタントの名刺を持たせている会社も存在する。



夢が叶っても満たされないのは、状態を夢にした段階で思考を停止してしまったからである。なぜ、その状態を自分は望んでいるのかを掘り下げて考えれば、それが本当に自分の願望を満たすものかどうかの判断ができたはずである。



教育大学や専門学校に何となく入ってしまった人こそ、一度自己分析をしっかりしてみた方が良いかもしれない。