∑考=人 〜プロメテウス〜

そして今日も考える。

未来が見えるということ

最近、後輩から就活についてのアドバイスを求められる機会が増えました。自分が就活を始めた頃からもう1年も経っているのかと思うと本当に驚くばかりです。もっとも、この段階で私がしていたことといえばひたすら自己分析だったように思います。

 

去年の今頃は、何かとワクワクしていました。就職活動を始める段階では、どの業界へ行くのか、どの会社へ行くのか、どんな職業につくのか、検討もつかないからです。不安と期待の入り混じった状況は生きることに活気を与えます。何かと苦しい時期でもありますが。

 

一方で、今はあまりワクワク感はないですね。別に今の人生が面白くないわけではありませんが、去年に比べて果たして優っているのかは疑問が残ります。この原因は自分の未来が見えるからだと思います。去年の自分にはまだあったポテンシャルを使ってしまったからです。掴んだ可能性の裏には、いくつもの手放した可能性があるものです。

 

そして、一つの可能性を掴んだことにより、未来が概ね決まってしまいました。もちろん、ほとんどのことは決まってもいませんし、予想もつきません。ただし、去年は全く決まっていなかったことのほとんどが今では決まっています。未来が少し明確に見えるようになったのです。

 

未来が見えるのはいいことなんでしょうかね。今現代の先行き不透明な時代、みな未来が見えなくて不安になっていると聞きます。そんな中、こんな発言をするのは不謹慎というか贅沢かもしれませんが、私は未来が見えることは必ずしも良いことではないんじゃないかと最近思っています。

 

夢をかなえるゾウ2というベストセラー小説の中ではこのように表現されていました。「会社に勤めてわかったことがある。それは、人間にとって1番怖いのは、将来が見えないことじゃなくて、将来が見えてしまうことなんだ。」

 

サラリーマンになると、何年後にはあの椅子に座って何年後にはあの椅子に座る、という構図が見えてしまいます。結果が先にわかってしまうのは、安心ですが味気ないものです。この先どうなるかわからないと不安で苛まれ、この先どうなるかわかると退屈に苛まれる。一体どうすればいいのでしょうか。

 

ここで、注意したいのが「この先どうなるかわからない」から「不安で苛まれる」わけではないことです。実際には、「この先どうなるかわからない」かつ「そうなった時に自分では対処できないと思う」から不安になるのです。「この先どうなるかわからない」けれども「そうなったとしても自分は対処できるはず」ならばそれがワクワク感になります。つまり自信があるかないかの違いなんですね。

 

口で言うのは簡単です。そう簡単に自信をつけることはできないからです。でも自信なしに、今の時代を楽しく生きていくことができるのでしょうか。できないと思うなら、結果のわからないことに挑戦し、かつ結果を出す、というプロセスを一つ一つ積み重ねていくしか道はありません。