∑考=人

そして今日も考える。

相手に求めすぎること

喧嘩は些細な口論から始まります。そして、些細な口論はコミュニケーションの齟齬から始まります。コミュニケーションの齟齬はどうして起こるのでしょうか。

 

人間とは不完全なものであり、人間が作り出した言葉も不完全です。そして、不完全な人間が不完全な言葉を用いて、意思疎通をはかろうとする行為であるコミュニケーションも、やはり不完全なものになるのです。だから齟齬があって当然なのです。ここまでは多くの人が認識していることであり、だからこそ、誰もが完璧なコミュニケーションを求め、会話術に関する書籍はいつもベストセラーにランクインします。

 

とは言え、コミュニケーションに齟齬があった場合に相手を責めてしまうのが人間です。否、不完全なことがわかっているからこそ相手を責めてしまうのかもしれません。相手を責めてしまう行動の根底にあるのは、相手がもっと良い表現を使えば、きちんと意思疎通ができたはずだ、という期待です。妄想といっても過言ではないでしょう。

 

期待値が高いから、それを達成できなかった時に、相手を責めることにつながります。どちらも正しい言葉選び、適切な伝え方をしてもコミュニケーションは不完全なのです。過度な期待は幻想に過ぎないのです。相手に求めすぎるから喧嘩になるのです。

 

こういう考え方を提示すると、多くの人は「相手に求めすぎること」が喧嘩の原因だと判断します。すると、別の問題を引き起こします。例えば、口喧嘩になった時に、相手から「あなたがはっきり言わなかったのが悪い」と言われたとしましょう。すると、あなたはおそらくこう思うでしょう。相手が自分に対して求めすぎるから喧嘩になったのだ、と。

 

相手があなたに求めすぎているのは事実でしょう。「相手に求めすぎること」が喧嘩の原因だと結論づけてしまえば、相手が悪いことになります。でも、本当にそうですか。違いますね。なぜなら、あなたが相手に対して「相手(自分)に求めすぎない態度」を求めすぎていることがより一層事態を悪くしているからです。つまり、自分も相手と同じ穴の狢だったわけです。

 

どうでもいい相手と喧嘩をしないコツは相手を赤ん坊扱いすることです。相手に対して苛立つのは、多少なりとも相手に尊敬の念がある証です。つまり相手に対して劣っているという自覚が潜在意識の中にあるため、それを認めたくないがためにイライラしてしまうのです。

 

問題なのは、大切な人の場合です。相手と対等に話をしようとすると、折り合いがつかない。そして、自分が折れてばかりだと、相手がどんどんつまらない存在、まさに赤子のような人間に思えてしまうのです。相手に対してイラつかない状況とは、つまり、尊敬の念を失ってしまったことを意味するからです。

 

例えば人生のパートナーに、私は対等さを求めます。すると、喧嘩のない生活はありません。喧嘩をすることで絆が強くなっていく、という考え方はありますが、私の中では、それはもはや理想論に過ぎません。絆が強かったからこそ、何度も喧嘩を乗り越えていくことができただけかもしれません。

 

私の経験では、喧嘩をするたびに、どこまでいっても分かり合えない人間関係が馬鹿らしく思えてしまいます。この状況を打破する良い方法はないでしょうか。もっとも、私が相手に求めすぎていることが原因なのは間違いないのですが、まだそれを諦めきれない自分がいます。妥協以外に道はないものでしょうか。