∑考=人 〜プロメテウス〜

そして今日も考える。

「仲良し」の定義

髪が伸びてきたため、美容院に行くことにしました。行きつけの美容院は受付が7時までです。仕事終わりに行ったため、美容院に着いたのは6時45分でした。ギリギリ間に合った、と思いきや、店はお客さんがいないため既に閉店モード。挙句の果てに、「今日はもう閉店の準備をしているので、後日改めて来ていただけますか」とお願いされる次第。店のスタッフとの付き合いも長いので、そのお願いを聞き入れざるを得ませんでした。

 

これは先日聞いた、友人の体験談です。仲良くしすぎると、迷惑を被りやすくなる教訓を学んだと語っていました。まさにその通りだと思います。仲が良いからこそ甘えられ、その甘えが相手に迷惑をかける結果に繋がるのです。

 

自分の経験を振り返ってみても思い当たる節はたくさんあります。例えば、アルバイトで複数のお客さんから呼び出された場合、常連で仲の良いお客さんにはお願いして待ってもらうのが当たり前でした。仲良くなると、このぐらい許してくれるだろう、という甘えが生じるのです。

 

私が1番真剣に考えたのは、タバコです。タバコは同じ場に存在する人にとって迷惑以外の何者でもありません。そして、私たち喫煙者は、仲の良い人の前では平気でタバコを吸い、関係の薄い人の前ほど控えたりします。これも甘えでしょう。このように、人間は本当に大切にしなければならない人ほど大切にできないという性を持っています。

 

一方で、仲良しの間に気遣いなんて要らない、と考える人もいます。確かに、仲が良いにも関わらず、遠慮ばかりされると、あまり信頼されてないんじゃないか、本当は仲良くないんじゃないか、と思うはずです。

 

では一体、「仲良し」とはどういう状態を指すのでしょうか。どのように定義されるのでしょうか。残念ながら、辞書で引いても「仲が良い状態、そのような間柄」ぐらいの意味しか用意されていません。

 

綺麗な言葉で言うなら、「互いに迷惑をかけ合うことが幸せだと感じられる状態」だと私は思います。迷惑をかけないということは干渉しないということであり、何の影響も及ぼし合わないのなら、それはもはや他人だからです。

 

しかし、あくまで迷惑をかけ合える関係であり、一方的に迷惑をかける関係ではない、ということは忠告しておきたいです。そして、相手にかけていい迷惑には限度があることも事実です。友達なら何をされても許せますか?人はそんな完璧にできていないでしょう。

 

仲良しの間に気遣いなんて要らないと考える人は、得てして、相手に多大な迷惑を強要する傾向があります。自分がされても許せることは、相手も許してくれるだろう、あるいは相手も許すべきだ、という発想に陥りがちです。

 

例えば、車で迎えに来てもらう、という行動一つをとっても迷惑度は全く異なります。あなたが車の運転が好きなら、相手を迎えに行くのはそれほど苦痛ではないかもしれませんが、相手が車の運転が大嫌いなタイプなら、あなたが感じる以上の苦痛を感じる可能性があります。迷惑度は単純に数値化できないのです。

 

また、相手に迷惑をかけるだけかけておいて、いざ自分に迷惑がかかりそうになると、その被害をさけようとする人もいます。少なからず、相手はそのぐらいの迷惑をかけてもいいぐらいの迷惑を被ったと感じているはずです。自分にとって迷惑なことを受容できないなら、それは仲良しではなく、ただの下僕ぐらいにしか思っていないということでしょう。

 

結論として言えることは、ちゃんと気を遣った上で、迷惑をかけてください、そして、迷惑をかけた自覚があるなら、相手の迷惑を受容してください、ということです。余計な気遣いは要りませんが、必要な気遣いもあります。親しき仲にも礼儀あり、礼儀を守った上で対等に迷惑をかけ合える状態こそ「仲良し」ではないでしょうか。