∑考=人 〜プロメテウス〜

そして今日も考える。

人の意見に左右されないために

自分の意志だけで物事を決めるってなかなかできることではないですよね。電化製品みたいに、スペックが数値化されているものを選ぶことはできるかもしれません。でもスペック自体が曖昧模糊(カッコいいかダサいとか、面白いとかつまらないとか)、すなわち個人の感性によって、優劣が異なるものを選ぶときは尚更です。

 

例えば、売店でソフトクリームを選ぶ場合は後者です。おいしいかまずいかは主観的にしか判断しようがなく、そして、吟味しなければ味そのものがわかりません。こんなとき、人は何を頼りに判断するのでしょうか。

 

見た目の色で判断する人もいるでしょう。緑色が好きだから抹茶味にしよう。あるいは、ソフトクリームに使われている材料で決める人もいるでしょう。イチゴが好きだから、ストロベリー味にしよう。

 

でもこれらは類推に過ぎません。緑色が好きでも緑色の食べ物が好きとは限りませんし、イチゴが好きでもソフトクリームに加工されたことによって味は変わるからです。イチゴへのこだわりが大きいが故にまずいと感じる人もいます。このため、主観的な類推だけで選ぶのは最適とは言い難いです。(この場合の「最適」とは、本来の自分が一番良いと感じる選択肢選択肢のことを意味します。)

 

また、感性で選ぶものは、己が感性で得た情報から類推することがほとんどです。今の例の場合、緑色やイチゴ味が、自身が経験から自分の好みにフィットしていることを知っておく必要があります。判断材料すら持ち合わせていない場合、最適なものを選ぶことは不可能でしょう。いえ、数学的に言えば、全ての選択肢が「同様に確からしい」ので、無知の状態ではどれを選んでも最適解である確率は同じなのです。

 

そういう状況に陥ったとき我々がどうするか、というと、「他人の意見を聞く」のです。

 

例えば、友人と二人で一つのソフトクリームを選ぶとしましょう。また、あなたは自分のソフトクリームの好みを判断するための知識(緑色が好き、イチゴが好きなど)すら持ち合わせていないとします。つまりこの時点では、どのソフトクリームも最適解である確率は同じです。

 

しかし、ここで友人が「普通のソフトクリームが定番だし、それがいい」と言ったとします。この時点で、あなたには「普通のソフトクリームが定番」、「友人は普通のソフトクリームが好きなこと」を知識としてインプットされるわけです。すると判断材料が増えたので、同様に確からしかった確率に傾斜がかかります。この現象こそがまさに人の意見に左右されるということです。

 

断っておくと、必ずしも普通のソフトクリームが最適解である確率が上昇するわけではありません。もちろん仲の良い友人のお勧めであれば、そうなる傾向が強いのは事実です。しかしながら、その友人の好みがあなたの好みと違うことを自覚している場合や、あなた自身が人の意見に素直に耳を貸せない天邪鬼タイプなら、むしろ最適解である確率は減少します。

 

どちらにせよ、このようにして人の意見に左右されてしまうのが人間です。そして蓋を開けてみると、残念ながら人の意見に左右された選択が最適であることは意外と少ないものです。

 

今は友人一人の意見の場合を考えたため、大きな影響はないかもしれません。しかし、これが複数になると、強い影響力を持ちます。同調圧力と言えばわかりやすいでしょう。「みんながそれを選ぶから」というのはそれだけで大きなモチベーションになります。

 

複数の人間の意見が集約されたのが、まさに人気ランキングです。日本人ほどランキングを気にする人種は少ないのではないでしょうか。私も何かを選ぶときはついついランキングを調べてしまいます。そして、人気ランキングは定性的なものを定量的に扱うための指標となっていて非常にはっきりとしているため選択の基準にしやすいのも事実です。

 

ただし、気をつけなければならない点があります。一つとして、定性的なものを定量的に扱うことは不可能だということです。ランキングはどこまで行っても不完全なものです。もちろん最悪解を選ぶ確率は低くなります。が、だからといって、否、だからこそ、最適解を選べる確率も低いのです。

 

じゃあ人の意見に左右されないためにどうすればいいのでしょうか。答えは簡単です。判断材料となる知識を増やすのです。人の意見に左右されると必ずバイアスがかかります。ならばそれを打ち消すバイアスを探すまでです。

 

全ての物事にはメリットデメリットが必ずあります。メリットが思いつかないとすればそれは思慮が浅いか、明らかに自分の感性とはフィットしていない場合です。ランキングを参考にする場合でもこの事実を念頭に置いておくと、順位だけでなく、理由に着目することができるでしょう。定性的なものはやはり定性的に扱うべきなのです。

 

バイアスがかかりまくると、結局どれが最適なのかわからなくなり、振り出しに戻ったように感じることもあると思います。でも、そうではないんですね。その境地に立って、選ぶ基準として機能するものが自分の軸であり、自分の価値観そのものなのです。だから人の意見に左右されないためには、人の意見に左右されまくるしかない、そう私は思っています。

 

このように考えると、人の意見に左右されることは、人の意見に左右されないための第一歩なのかもしれません。聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥みたいな感じでしょうか。人の意見に左右されることを頑なに拒むのではなく、流れに身を任せてみることも必要なのかもしれませんね。