∑考=人

そして今日も考える。

何もない学生の就活

そろそろ就職活動の時期ですね。後輩たちのスーツ姿をちらほら見かけるようになりました。皆が口を揃えて私に聞きに来るのは、「就活してるとき研究してましたか?」の一点張り。就活自体に対するアドバイスは特に求めていないようですね。ちょっと悲しい気もします。

 

一年前は結構就職活動についてブログに書くことが多かったように思います。自分なりにどんなエントリーシートを書くべきなのかとか、面接ではどう振る舞うべきなのか、とか様々に思考を巡らし、自分なりの理論は確立できたかなと思います。

 

私は散々就活に学歴は関係ない、有利なだけだ、と宣言してきました。実際に先輩に内定を一つももらえなかった人もいるし、学歴さえあれば内定がもらえるわけではないのは事実なのです。

 

私がこんな意見を言うと、説得力があると言ってくれる人がいました。学歴のある人の発言だからこそ、本当のように聞こえるそうです。確かにそういう解釈もあるでしょう。私もそういう解釈をしてもらえることを期待していました。

 

でも、全く逆の解釈をする人もいると思うんですよ。というか、私が逆の立場だったらそう思いますね。こんなパッパラパーの大学時代遊びまくって留年した奴が内定もらってるんだから、それってやっぱり学歴のおかげじゃないか、と。全然説得力ねぇよ、と。

 

はい、その通り、正解です。自分の考え方と矛盾するようですが、私が採用選考を受けた、決して多くない企業の中で複数の企業から内定がもらえる決め手となったのは間違いなく学歴でしょう。私が小手先の就活マニュアルレベルのエントリーシート、面接で内定がもらえたのは、傑出した学歴があったからなのです。珍しいスキルも経験もないのに、大手企業の内定がもらえるはずがないのです。

 

ただ、これは私も立場上あまり言いたくはありません。というか高学歴の人はみんな言いたくないことだと思います。理由の一つとして、昔の自分は凄かったけど、別に今の自分はとりわけ凄くもない、ってことを自分で認めるようなものですから。高学歴のほとんどの人は本当に頭が良い(良かった)だけで、社会で役立つスキルや経験を持ってる人なんて少ないですよ。ポテンシャル採用という世界的に稀有な制度に感謝しないといけない。

 

二つ目として、学歴があれば内定がもらえるみたいな考え方は反感を喰らいますよね。学歴がない人がそう考えるのは許されるんだけど、学歴がある人がそう考えてるとしたら腹が立つでしょう。私もそういう考え方はあまり好みません。傲慢な奴だと感じるのが正常でしょう。

 

でもそれが現実なんですよね。そして考えようによっては、学歴があれば内定をもらえるという考え方を傲慢と考える方が傲慢です。学歴を勝ち取った人がどれほどの努力をしてきたか知っていますか?トータルでどのくらいの勉強量を費やして、その結果どれだけを犠牲にしてきたか知っていますか?と。私たちは全然勉強してない、と言います。でも、私たちが言う「全然」と君たちの考える「全然」はそれこそ全然違うのですよ、と。まぁ、結局私たちが勉強できたのは、自分を取り巻く環境が恵まれていたという運によるところが大きい、というのが私の中の結論ですが。

 

少し話がズレてしまいました。結局、私の中で確立された就活突破理論は、ある程度の学歴がある人にしか適用できないものであり、かつ、転職面接には全く使えないものです。さらに言えば、売れまくっている就活マニュアル本も弱者を対象に書かれているものとは思えませんでした。

 

某就活サイトでも、志望動機には「ありのままの経験を魅力的に伝えることが大切」などと語られていましたが、学歴のない人にとってはほとんど綺麗ごとでしょう。ありのままの経験どころか盛った経験でさえ、概ねコモディティなものであり、決定打にはならないからです。それで、どうするかというと、みんな数で対処しようとするのです。そして、文系なら100社ぐらい受けて当然だみたいなねじ曲がった風潮が常識化しています。確かに試行回数を重ねるのは大切なものの、安易すぎやしませんか。

 

そんな考え方を打破するきっかけになるかな、と思ったのが大石哲之さんの「英語もできないノースキルの文系学生はどうすればいいのか?」という本です。kindle版で(というかkindle版しかありません)値段も100円と安い。代わりに誤字脱字が目立ちますが。、これほどごもっともなことを書いている本は少ないと思います。スキルがないなら留年しろ、みたいな主張が普通に出てきます。具体性のある意見が多いので、参考になると思います。就活本というより、これからの働き方に関する本でもあるので、社会人の人でも十分楽しめる内容になっています。