∑考=人

そして今日も考える。

保育園に市場原理を

動物園とかに行くと、キリンなどの動物に餌をあげることができたりしますよね。割と人気があって、行列になっていることもあります。確かに動物(しかも動物園にしかいないような動物)と触れ合う機会は日常に溢れているわけではないので、一度くらいやってみたいと感じるのが普通なのかもしれませんね。

 

で、このビジネスモデルって実に上手いと思います。というのも、数字で考えてみると、かなり店側に得をもたらす仕組みなんです。例えば、1日のキリンの飼育費(餌代)が30000円分必要だとしましょう。お客さんがただ動物園に観光に来ているだけであれば、店側は1日あたり30000円の赤字、-30000円です。

 

しかし、1日100人の人が300円分の餌を買ってキリンに与えたとします。すると、店側は餌を売って30000円の利益を上げ、さらに負担である30000円分の餌はすでにお客さんにより与えられているので、そのまま30000円の黒字、+30000円です。

 

つまり、餌をあげるサービスを実施するだけで、60000円もの利益を出すことができることになります。本来店側の負担である動物への餌やりを、お客さんに負担してもらってしかもお金までもらうという、半ばぼったくりとも思えるサービスです。私なんかは、なぜお金を払って餌を動物に与えてやらないといけないんだ、とか思ったりします笑。

 

でも、これがビジネスとして成り立つのは、「経験」を売っているからです。キリンの餌を300円で買って、その300円分の餌をキリンに全てあげてしまえば、手元には何も残りません。しかし、キリンに餌をあげる、という非日常的な経験を手に入れることができるのです。

 

私が思うのは、この仕組みを何とか保育園に導入できないものか、ということです。目指すは、保育経験をサービスとして顧客に提供するビジネスモデルの確立です。保育はかなりデリケートなので、ビジネスの競争原理を導入することについてはかなりネガティブな意見が多いですが、考えてみるプロセスは必要かと思います。

 

まず現状として、保育園の不足が叫ばれています。保育士が足りていない、ということでもあります。数が少ないので、保育士の労働環境は厳しくて当然であり、今の状態が続くとさらに保育士になりたいと考える人が少なくなっていくでしょう。

 

そもそも保育園の不足について言及されるのは、顧客の保育のニーズを満たせていないということです。なので、ビジネスチャンスになります。というよりも解決されるべき社会問題が残っているのです。

 

ならば、「子育ての経験」を売るという名目で、サービスを展開すればいいのです。確かに保育士さんは、子育てをすることで収入を得ています。でも、人間の中には、その経験を買ってでも手に入れたい、と考える人もいるはずなのです。それは動物に餌をあげてみたい、という気持ちと似通っているでしょう。特に、育児に不安があるせいで、結婚に踏み切れない人も少なからず存在するはずです。

 

もちろん、動物の場合とはワケが違います。動物に餌のあげ方を間違って、動物が病気になったり死んでしまったとしても、全く(は言い過ぎにしてもほとんど)問題にならないはずです。ただ、人様の子供となると、責任重大ですね。そもそも何の資格も持たない人が娯楽感覚で保育をするなんて許されるべきではない、多くの人がそう考えるはずです。

 

しかし、私はこの発想の方がかなり問題があると思っています。現代人の考え方はだいたいこんな感じなんでしょうね。私には子育てをしている時間はない。だから保育園に預けたい。しかも、ちゃんと子育てができる人に預けたい。でも子供に悪いことが起こったら、あんた責任とってよ。

 

確かに安心して子育てを任せられる保育園が充実しているのが理想的なのは間違いありませんし、それを目指していくのは大切なことです。でも今はそんな贅沢言ってる場合ではないことも事実です。

 

本来なら、自分で子育てができない時点で、その子供の安全は保証されなくて当たり前です。保育園があるだけありがたいことであり、子育ての責任を委託している以上、保育園側のミスで子供に問題が生じたとして、とやかく保育園を責める権利が親にあるでしょうか。率直に言うと、自分で育児をしないのが一番の原因であり、自分で自分の子供を育てられない状況を生み出したのが悪いんですから。

 

子育てはデリケートな問題だと国や政府は言っています。でも少し間違っています。子育てについてデリケートに考えるべきは国や政府ではなく、一人一人の国民、親です。だいたい、子育てについて誰もデリケートに考えてこなかった結果が今でしょう。自分の子供の育児についてちゃんと責任を持っている大人たちが少なくなったから、保育園が足りなくなっているんです。この当たりで、育児に関する甘えを払拭するためにも、抜本的な見直しが必要だと思います。