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そして今日も考える。

プア充を考える

プア充という言葉が最近使われるようになりました。島田裕巳さんが書籍のタイトルとして初めて使ったんですかね。リア充の派生語みたいな感じで、貧乏でも充実している人のことを指すんでしょう。本の主張としては、貧乏でも幸せに暮らすことはできるんだーみたいな主張だと思います。とりあえずアマゾンの欲しいものリストに追加しておきました。面白かったら別途エントリで書評でも書きます。

 

まぁしかし、安い収入でも生きていける、というのは別に今に始まった話ではないですよね。「ニートの歩き方」とか、「年収150万円で僕らは自由に生きていく」みたいな話でも多分似たようなことが書かれているんだと思います。確かにデフレのせいで給料は安いけど、物価自体も安くなっている。ならば暮らしていくのに昔ほどのお金は別に要らないんじゃないの?ということでしょう。

 

私自身こういう考え方は割と強く持っています。だって、今の資本主義を煽る風潮はちょっと極端すぎるじゃないですか。グローバルな人材を目指せとか、英語力、IT、会計スキルは持っていないとビジネスマンとして生き残っていけないみたいな。

 

日本の教育の質から考えても、社会人になってから圧倒的な努力が求められることがわかります。それを本気にして頑張っている人もいるようですが、彼らは敗者になる可能性を考慮しているんでしょうか。競争には敗者がつきものです。仕事が楽しいならそれで万事OKですか、これをしないと生き残っていけないからみたいなことをガチで言う人を見ると、今を疎かにしていないか心配になります。

 

だから、もう潔く負けを認めた上で、幸せに暮らす方法を模索するのも大切でしょう。これから社会人になる私たちが働く前から負けを認めるのは筋違いですが、こういった心のセーフティーネットがあった方が、安心して挑戦することができるものです。少なくとも、今の私は収入のほとんどが学費と生活費で消えていますが(正確には奨学金を借りてもマイナスですが笑)、割と充実していると思います。プア充です。

 

ただ、プア充に関してはかなり批判意見が飛び交っているようです。プア充なんて「正直甘すぎ」 “リアルプア層”からの猛反論!とのことで、本当に貧乏な人達がありのままに語っています。要するに、プア充なんて幻想だ、ということですね。まぁこの手の批判が上がるのはしょうがない部分もあります。この本を出版した島田さんは少なくとも貧乏ではないでしょうし、「年収150万で~(略)」の著者池田勇人氏も、彼自身が実際にはもっと稼いでいると批判を浴びていました。

 

立場上、説得力を持ちにくいのでしょう。金持ちが貧乏な暮らしでも幸せになれること、貧乏人が貧乏な暮らしでも幸せになれることを一緒くたにはできないものです。前提条件の違い自体は論理的に正しい指摘だと思います。

 

私も過去にたくさんのフリーターに出会ってきました。ほとんどがパチンコ屋の店員なので給料は比較的高いものの、それでも年収にすれば250万程度です。正社員に比べると貧しいと言えるでしょう。この記事に書かれているように、「月々の収入から家賃、食費、光熱費などを引いていくと、自由になるお金はひと月に数万円程度」だと言う人もたくさんいました。だから充実した生活は送れない、のだそうです。

 

先に謝っておきます。ごめんなさい。彼らが充実していないのは、お金がないからではありません。「バカだから」です。バカだから正社員になれなくてお金がないから、というのも違います。彼らはどれほどお金を稼いでもきっとお金が足りないと言います。なぜなら彼らは、お金を使う以外に楽しいことをする方法がないと思い込んでいるからです。あるいはすでにお金を使う行為自体に喜びを感じるようになっている人も少なくありません。

 

彼らに是非とも勧めたいのが自己分析です。自分が何に楽しみを感じて、何にお金を使えばより幸福を最大化できるのか。逆に金額を最小化するのも一つの方法かもしれませんね。私なんかはよく休みの日に一日中ドラマやアニメを動画サイトで見たりしますが、それだけでも十分面白いものですよ。タダですし。ブログ書いたり、ネットサーフィンもタダです。お金は飲み会と本とタバコぐらいにしか使いません。月15万で事足ります。今は奨学金込みで月12万ぐらいしかなくて厳しいですが。

 

もちろんたまたま、私はお金のかからないことを好きになる傾向が強かっただけかもしれません。必然的にお金のかかることを好きになってしまう人もいます。それならそれでお金を稼ぐために頑張ればいいじゃない、って話です。あるいは趣味以外の生活レベルを下げることです。

 

お金がないとか言いながら、車がないと生きていけない、とか本気で言っている人がいます。一人暮らしなのに1LDKに住んでいる人もいます。結局自分にとって何が本当に大切なのか全くわかっていないんですね。一つに絞れ、というのは到底無理でしょうが、少なくとも、優先順位の低い望みは切り捨てないと豊かにはなりません。そもそも、貧しいと感じている時点で心が満たされていないので、今大切にしているものは案外それほど大切なものでもないのです。

 

私の知る限り、お金がないと言っていた人達は身の丈にあっていないことをしている人が多かったです。身の丈にあっていないことを望むのはいいのですが、身の丈に合わせる努力もせず、ただ現状を嘆くだけでは何も変わりません。選択肢は、何かを捨てるか、努力を増やすかです。本当の努力にはお金がかかるので、結局何かを捨てる必要があったりします。

 

実は私も、昔はお金を散々使い果たす大バカ者でした。でも散々お金を使い切った挙句、「もっとお金があればなあ」とは思わずに「お金があっても満たされない」と感じることができました。そのあと、自分を模索したことで、お金がなくても満たされる方法が自分なりにわかってきたと思っています。

 

確かにお金は必要ですが、自分を満たすためにどれだけのお金が必要なのか、自分がどんなことで満たされるのか、といったところから一度考えてみる価値があるのではないでしょうか。