∑考=人

そして今日も考える。

余裕がないと発想力は低下する

最近、ブログに書く事が全くと言っていいほど思いつかなくなりました。俗に言うスランプです。理由は何となくわかっています。精神的に追い込まれているからです。

 

修士論文提出まで残り2ヶ月ほどとなりました。同期達は、徐々に修士論文の執筆に着手しだしたようです。一方で、私は現在何をしているかというと、数値解析プログラムの作成です。これは実験系で考えると、まだ実験装置を作成している段階です。我ながら恐ろしいと思います。

 

そして、プログラム完成のメドが立っているかというと、立っていません。他人の書いたソースコードを基に変更を加えれば良いだけなのですが、数値解析の理論自体の理解も浅はかな上、馴染みのない言語で書かれた巨大なプログラムを読むのは予想以上に大変なものでした。

 

プログラムを書くというのは本当に地道な作業で、一つ一つのモジュール(パーツ)がうまく動作するのを確認しながら全体としてちゃんと動作するかどうかを確かめながら進めていく必要があります。また、全体としての設計がフレキシブルなものになっていないと、一つのパーツに変更を加えるために他の部分をいくつも修正していかないといけなくなるものです。初期段階における設計がいかに大事かということを思い知らされました。

 

結論から言うと、もう完成させることはできないと思っています。幸い、今年の学会発表で提出したネタはあるので(といっても修士論文としてはかなり未熟)、何とかなるだろうとは思っているのですが、半年間も費やして何一つ結果を残せなかった自分に憤りを感じています。

 

それはそれとして、私としては、もう今の実験は諦めて違うことをしたいと思い始めているのですが、教授がそれを許してくれそうにありません。しかしながら、私の教授は放任主義で有名であり、学生に対するサポートはほとんどしてくれません。(そのためか過去の二人のドクターは博士号を取れませんでした。)自由にさせてもらえるのは良かったのですが、この時期になると放任されることの苦しさを再認識させられます。

 

かと言って、研究の方向性を自分自身で決める能力は持ち合わせていないので、教授に従わざるを得ないんですね。すると、もう私の卒業は教授にかかっていると行ってもいいでしょう。他人に自分の人生を委ねるというのは私にとってはすこぶる不安なことです。そういうわけで、なんだか余裕がありません。

 

余裕がないと、情報が身に入ってこないし、何も思い浮かばない。逼迫してる方が良いアウトプットを出せるという人はいるけど、私はそういうタイプではありません。なんか久しぶりにストレスを感じている気がします。だからひたすらアニメ見るという笑。

 

とりあえず研究の方向性変えれないか教授にお願いしてみよう。