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そして今日も考える。

グローバルリーダーは偉いのか?

「グローバルに活躍できる人材になりたい」とか言い出す学生が、就活時期にたまに現れるんですが、何のためにグローバルでの活躍を目指すのか、とか考えたことあるんでしょうか。私が思うに、単に偉くなりたいだけ、としか思えません。いや、別に偉くなりたいという気持ちはあっていいと思いますが。

 

とは言え、安易にグローバルな活躍とかリーダーになることを目標にしてしまうのも頷けます。社会も企業も大学も、あなたたちにはリーダーとして世界を引っ張って欲しいみたいな思想を散々若者に植え付けるものです。優秀な大学とかだとなおさらでしょう。逆に「私たちは平凡な人間を輩出することを目指して頑張っています」みたいな組織は見たことがありません。それじゃあ組織の存在意義がなくなってしまうからです。

 

日本や他の国においても、教育機関が存在するのは、私たちを成長させるためです。企業も個人の成長を謳っているところがほとんどでしょう。しかし、国の税金を使って、個人個人を成長させるのは、私たちが豊かな人生を送るため、というよりも、組織自体が、私たち若者が将来的に利益をもたらすことを望んでいる側面の方が強いはずなんです。

 

そして、大きな利益をもたらすことになる存在がグローバルリーダーの輩出というわけです。一つの考え方として、私が世界的に有名な人として大きなことを成し遂げれば、私の生まれた場所や関わった組織などの知名度は上がります。すると、優秀な人材を育成した組織としての評価を受けることにも繋がり、利益を受けることができるようになるのです。

 

では、逆に私たちにとってグローバルリーダーになることは果たして良いことなのでしょうか。これは主観的な判断ですが、優秀な人材ほど、グローバルに活躍することがベストな選択とは考えていないように思います。さらに、今後はグローバルに活躍することを余儀なくされる時代に突入するため、グローバルに働くだけでは何の意味もなさない時代になるでしょう。

 

今は日本という国にとっては、グローバルリーダーよりもむしろドメスティックリーダーの方が必要になるでしょう。企業はユニクロや楽天のように、日本人の雇用を切り捨ててしまえば何の問題もありませんが、国が日本国民を切り捨てるわけにはいきません。日本国民こそが国そのものだからです。

 

時代に合わせた柔軟な教育が国には求められているのではないでしょうか。