∑考=人

そして今日も考える。

友人の友人は友人ではない

自分の知り合いを6人以上介すると、世界中の人々と繋がっているという説があります。六字の隔たりとか言われてます。つまり、世界に存在する全ての人々は、自分の知り合いの知り合いの知り合いの知り合いの知り合いの知り合いに含まれるのです。もっとも、これはもはや過去の話で、Facebookの調査では、4.7人ぐらいしか介する必要がないそうですが。

 

信じられないかもしれませんが、数学的に考えてみると、極めて自然だったりします。仮に自分の知り合いが100人いるとしましょう。するとその100人のうち一人一人についても100人くらいの知り合いがいます。つまり知り合いの知り合いは100×100=10000人いる、ということになります。二次の知り合いは10000人いるのです。

 

同じように考えると、六次の知り合い(知り合いの知り合いの・・・知り合い)は100の6乗=1000000000000人、すなわち一兆人をカバーすることになります。もちろん、知り合いの知り合いの知り合いが、直接の友人であったりすることもあるでしょうし、全ての人に100人もの知り合いがいない可能性はあります。ですが、それらを考慮したとしても、現在の世界人工72億人ぐらいは十分に網羅していると考えることができます。

 

でも、どうでしょう。世界中の人々が六次の知り合いに含まれると知って、親近感を覚えるでしょうか。繋がっていないようで繋がっているんだな、と思うことができるでしょうか。私はそうは思いません。むしろ六次の知り合いにもなると他人でしかないんだな、と思います。

 

二次の知り合いも私にとっては他人でしかありません。今までもそういう風に考えていたし、きっとこれからもそういう風に考えるだろうと思います。友人の友人は友人ではないのです。

 

私の持論として、学生の5人以上のグループは実は友人ではない、というものがあります。これもグループのキーマンと各個人個人が繋がっているだけであり、ほかのメンバー同士には直接的な繋がりがないのです。友達の友達とつるんでいるような感覚を感じてしまいます。

 

集団行動は大切ですし、集団でしかできないことは山ほどあります。だからと言って個人的な関係を疎かにしてしまうと、結局他人になってしまうのかもしれませんね。