∑考=人

そして今日も考える。

せめて努力だけは認めてほしい人へ

一生懸命やったのに、結果が出なかった。頑張っても結果が出なければ、少なからず落ち込むでしょう。そんな時、周囲にどんな言葉をかけて欲しいと思いますか?

 

たいていの人は「(結果は出なかったけど)一生懸命頑張ったね」という言葉を求めるはずです。せめて努力ぐらいは認めてほしい、という願望があるからです。これがおそらく模範解答だし、落ち込んでる人を励ますことのできる優しい言葉だと思います。一般的には。

 

でも中には、「お前の努力が足りなかっただけだ」と言い放つ人もいます。ただでさえ落ち込んでいるときに、こんなことを言われたら、全てに対してヤル気を無くしてしまいそうですね。努力すら認めてもらえなければ意気消沈してしまいます。

 

ただ、ここで少し考えて欲しいのは、結果を出すために必要なことは何なのか?ということです。努力さえあれば、結果は出ますか。出ません。結果を出すために必要ななのは、努力と才能と運です。もちろん課題の難易度によって求められるレベルは全く異なりますが、この3つの要素のどれか一つが欠けても結果は出ません。

 

例えば、結果を出した時、「お前は運が良かっただけ」などと言われたら心外に思いますよね。これは、「運が良かっただけ」=「努力も才能もない」という方程式を瞬時に思い浮かべるからです。おみくじで大吉を引いたときに「君は運がいい」と言われたところで別に悪い気はしません。

 

そう考えると、「お前の努力が足りなかっただけ」という言葉は、君にはやればできるだけの才能(と運)があるということでもあるんですよ。つまり、自分の潜在的な能力が認められているということであり、それはとても誇らしいことなのです。

 

ということは、ですよ。逆に「君は一生懸命頑張った」という言葉の裏には、あなたには才能と運が足りなかった、という言葉が隠れていることになります。つまり、それが能力的にはあなたの限界ですよ、という宣告を受けているのです。これは本当に喜ばしいことですか?

 

別に努力を認めてもらうことに対して、無理に悔しがる必要はありませんが、努力を認められるということは才能を否定されることと同義であり、逆に努力を否定されることは才能を認められていることと同義なのです。こんなふうに考えれば、表面的には否定的な言葉も、ポジティブに解釈できるのではないでしょうか。