∑考=人

そして今日も考える。

TOEICは役に立たない

TOEICの結果が公開されていました。720点、念願の700点越えです。ちゃっかり今月の頭ぐらいに受けていたんですね。ちなみに初めて受けた3年前の得点は650点で、これが私の限界だと本気で思っていました。まともに勉強らしい勉強をしたのはそれ以来です。

 

私がTOEICを再び受けようと思ったモチベーションは、グローバルで活躍したいとか喋れるようになりたいとか、ではありません。(もちろん、できるならばそのレベルを目指したいとは思っていますが。)英語力に不安があるのは事実ですが、それは喫緊の課題ではないので、大嫌いな英語を勉強するモチベーションにはなりえません。

 

そんな私を突き動かした理由は、英語が読めると読めないとで手に入れられる情報の質が圧倒的に違うということです。何を今さら、周知の事実ではないか、と思われるかもしれません。もちろん、私もそんなことはずいぶん前から知っていました。しかし、もう一度言いますが、今までの私にとって喫緊の課題ではなかったのです。そう認識していなかったのです。しかし、研究で少し技術系(というよりも情報系にとっては最低限のITリテラシー)の勉強をしていた時に体感しました。

 

例えば、プログラムをコンパイルしてエラーが発生したとき、そのエラーメッセージを日本語のサイトで検索しても、回答どころか質問にすらヒットしません。プログラムのエラーは多種多様であり、馴染みのない言語になると何のエラーかわからないものも多いのです。そのため、自分なりに試行錯誤して問題の原因を探らなければなりません。これがかなり骨の折れる作業です。

 

英語で検索すれば、感覚として、日本語の10倍くらいはヒットします。しかし、英語で書かれていると、原因がそこに書かれているのに、理解できないというジレンマに苛まれることになります。そこで諦めてしまうことが、手に入る情報の質を下げてしまっているのです。

 

そんなわけで、とりあえずの目標として、英語を読めるようになることを目標にしました。そして、その通過点的な役割を期待してTOEICを受けることにしたのです。幸い、期限が切れていましたし。

 

今回私がやった勉強は単語の暗記とリーディングのみです。時間的にほとんど勉強できないとわかっていたので、リスニングは一切やりませんでした。リスニングはすぐにできるようにならないことを経験的に知っていたので。

 

私の戦略に対して、結果は驚くほど素直でした。トータルで前回より70点上がったんですが、リスニングはたったの5点しか上がっていないんですね。リーディングだけで65点上がって、リーディングの方がリスニングよりも高い、というアンバランスな結果になってしまったようです。

 

で、リーディング力が飛躍的に上がったかというと、残念ながらそうでもないんですね。今回は研究質にあった過去問形式の問題集で演習をしました。

 

 

 

 たぶんこの問題集だけをやっていたせいか、パターンを勝手に覚えちゃっててですね。英語を読む、というよりはパズルを解くような感じで答えがわかってしまう問題が結構あったんです。だから読解力で解いたというよりは、慣れで解いてしまった、という感じがあります。逆にTOEICの点数が目的の人には良い問題集だと思います。

 

もう一つ、大して読解力がついていないことを証明しているのがリスニングの結果です。リスニングの対策は全くしていないと言いました。しかし私には、リーディングの対策をするだけでリスニングの得点も上がるだろう、という自信があったんです。それは一つの仮説に基づきます。

 

リスニングができない人はついつい英文を聞き取れていないせいにしてしまいがちです。私もずっとそうだと思っていました。でも、英語を何気なく聞いている時に、何をしゃべっているかは意外と聞き取れている自分に気づきました。その時、本当に問題なのは、英語を理解する速度が遅いことなのではないか?という仮説が立ったわけです。

 

つまり、英文を速く読めるようになれば、リスニングのスピードで英語を理解できるようになれば、リスニングもできるようになるだろうと考えていたのです。そのため、単語帳として、こちらを使いました。

 

 

 

 高校受験でもお馴染み速読英単語シリーズのTOEIC番ですが、私は文章自体をほとんど覚えてしまうので、あまり速読の練習にはなりませんでした。ただ、単語帳としては使えます。CDを活用すれば、リスニングの練習にもなるのかもしれません。

 

結局、試験対策としての英語を勉強したところで、本当の英語力なんて身につかないということがよーくわかりました。それよりももっと生きた英文に触れる機会を長期的に増やしていくことが大切なのでしょう。私の友人の言うとおり、「英語を勉強する」という発想から離れなければならないのです。