∑考=人

そして今日も考える。

中途半端でいいじゃない

中途半端という言葉に皆さんはどんな印象を抱くでしょう。目立った強みがない人?何事も最後までやり遂げられない人?自分の意志を持たない人?どうでしょう。あまり良いイメージはないかもしれませんね。少なくとも、褒め言葉として中途半端という言葉を使うことはないはずです。

 

私も、昔っから色んな環境で、さんざんお前は中途半端だと言われてきました。集団で行動するとき、ほとんどの意見は「どっちでもいい」だし、仕事を与えられても、ほとんどの業務を人並み以上にこなすんだけど、これといって突出した能力はない。そうだったと思います。

 

そんな自分の中途半端なところが嫌だと思った時期もあります。自分こそが1番だと信じて止まなかった勉学に関しても、結局のところいくらでも上はいるわけで、それこそ中途半端な能力でしかないと思ったときの挫折はそこそこ大きかったものです。

 

で、気づいたんです。そもそも中途半端にならないことなんて目指すべきではない、と。例えば、100人の人がいて、何かの競技で競ったとしましょう。すると、中途半端出ない人はたったの1人です。中途半端がいけないという考えに囚われると、敗者である99人の存在価値が揺らいでしまいます。私はそんな考え方が普通ではあって欲しくはないし、そうだとも思いません。

 

今は組織という繋がりが薄れ、スペシャリスト指向が強くなっています。確かにこれからは、突出した能力を持つ人が、国境を超えてどこでも働ける時代になっていくのかもしれません。だから個人としてスペシャリストを目指すべきなのでしょうか。スペシャリストを目指すしか生き残る道はないのでしょうか。

 

結論から言うと、皆がスペシャリストを目指したところで、全員がハッピーになれるなんてありえません。皆が皆スペシャリスト(ある分野でNo.1)になれるはずもないからです。

 

もちろん一つの考え方として、比較する範囲を狭くしたり、分野を絞ることによって、仮想的にスペシャリストになることは可能でしょうし、そういったセルフブランディングの方法はあります。でも、自分が優位に立てるレベルまで絞った範囲でのスペシャリストに価値はあるのでしょうか。

 

全員がスペシャリストを目指せば上手くいくというのは幻想でしかありません。これがゲームの世界なら話は別です。レベルが上がった際に、攻撃力だけにポイントを割り振ったりすることで確実にある能力について特化させることができます。

 

しかし、現実世界の場合、能力値を直接割り振ることはできないのです。例えば、マーケティングに特化したいから1年間で得たポイントを全部マーケティング能力に割り振る、といったことはできません。私たちにできるのは、特化したいと思う能力に割く時間を増やすことぐらいです。

 

また、割く時間がそのまま能力値に繋がるわけではないのも、現実世界の難点です。例えば、数学を得意科目(強み)にしようと思って、数学の勉強に費やす時間を他の科目の2倍にしたからといって、数学が得意になるとは限りません。逆に、数学なんてほとんど勉強していないにもかかわらず、なぜか結果として強みになっている場合もあります。そして、結果として強みになっていること、これこそが本当の強みです。

 

受験勉強でも、「この科目を得意科目にする!」みたいに意気込んで勉強する人がいますが、個人的には賛同できません。得意かどうかは結果でしかないからです。強いて言えば、全て平等に時間を費やすことができたとして、突出した能力があったとすれば、それを強みにしていくのが戦略的には良いのかと思います。

 

しかし、それは自分の中だけで閉じた強みであり、全体的に評価すれば、どれも全く突出していない、という状況に陥ることは多々あります。そんな時にはスペシャリストを諦めてしまうのも一つの手なんじゃないかと私は考えています。

 

前述のとおり、近年はゼネラリストは付加価値を生み出せない存在として非難される存在へとなりつつあります。しかし、自称スペシャリストの人達も、絶対的なNo.1であるわけではありません。戦うフィールドや分野を絞ったところで、上位数%に入る、というぐらいのものでしょう。そして、営業スキル、開発スキルなどのビジネススキルは数値化が極めて難しいので、結局のところ、なんちゃってスペシャリストでしかないのです。

 

本当に大切なのは、どの分野でスペシャリストになるかではなく、どんなゼネラリストになるか、だと思います。たった一つの分野で1番になることはできなくても、この分野とあの分野とその分野で上位10%ぐらいに入るならよし、という考え方です。ゼネラリストかスペシャリストかという両極端な発想を捨てることで、オリジナルな戦略は立てやすくなります。

 

ぶっちゃけた話、何でも屋さんを極める、ゼネラリストのスペシャリストを目指す戦略というものもあっていいのです。(もちろん、特定の組織内でしか活躍できない可能性が非常に高いですが。)こんな風に、世の中の論争をグラデーションマップのように考えることができるのも中途半端ならではのメリットです。白黒はっきりつけるのが良いこともありますが、99%の人間は中途半端だし、中途半端を受け入れるからこそ別の戦略を考えていけるというのも一つの真実なのです。