∑考=人

そして今日も考える。

笑いを追求するほど面白くないという矛盾

年末年始は実家に帰りました。実家に帰るとどうもオフモードに入ってしまうようで、一日中ゴロゴロ、テレビを見て、晩には友人と飲みに行く、というサイクルをひたすら回していました。修論は未だに手付かず(汗)。

 

年末年始と言えば、「ガキの使い」を楽しみにしていた人も多いんじゃないですか。ガキの使いを見ながらいつの間にか年を越しているのが定番になっている人もいると思います。でも、あれって面白いですか。個人的には年々面白くなくなっていると感じます。

 

もちろん、私にあんなに面白いテレビ番組は作れませんよ。どれだけの時間やお金、たくさんの人たちの苦労があってあの番組が完成しているか想像もつきません。しかし、傲慢な顧客の立場として言わせてもらうのであれば、やはりイマイチだったという感想につきます。

 

1番の原因はパターン化ですよね。年々放送される中で、毎年恒例の鉄板パターン(蝶野が邦正をビンタするとか)が蓄積されています。吉本新喜劇のような「お馴染みの笑い」を取ることが目的ならば、それもありなのかもしれませんが、新鮮な笑いは年々減っていってしまうことになります。

 

一言で言えば、笑いの模範解答に頼れば頼るほど面白くなくなる、ということです。去年このネタでウケて、今年もこのネタでウケたのだから、来年もこのネタでウケるだろうという発想で新しいものを作ってもダメなのです。

 

これは今のテレビ番組全般についても言えることでしょう。お笑いブームが到来して以来、お笑い芸人が出て、おもしろおかしく話をするのが鉄板のテレビ番組となっているのはおわかりでしょう。今で言えば、有吉を出演させれば、マツコを出演させれば、嵐を出演させれば、視聴率が取れる、そんな正解がテレビ業界にはあるのです。

 

確かに有吉やマツコが出てる番組は面白いし、嵐が出ていれば、世の女性たちは見るかもしれません。しかし、いかに面白いものがあっても正解の形が絞り込まれすぎると、プラットフォームとしての魅力は格段に落ちてしまうんですね。

 

例えば、楽天市場でAというお店が売上で一位をとったとしましょう。そして、楽天市場にある、他のBやCといったお店がAのマネをしてしまったとしたら、どうなるかというと、楽天市場全体の人気が下がってしまうのです。プラットフォームにおいて最も大切な多様性が抜け落ちてしまうからです。

 

扱うテーマや番組のスタイルは年々それなりに変化していますが、本質的な変化を感じるほどのものではありません。それが結局、今の視聴者にとって「最近のテレビはつまらない」と言われてしまう大きな原因なのだと思います。もう飽きちゃったわけです。

 

業界全体が斜陽傾向にある中、パイを(マツコや有吉を)奪い合う発想になるのは合理的なのかもしれませんが、長い目でみれば、全体のパイ自体を損失してしまうことになります。囚人のジレンマのように、個人の合理的選択が全体として非合理な結果を招くことも視野に入れて奮闘しないと、新生ニコ動に市場ごと持っていかれる可能性も十分にあるでしょうね。