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そして今日も考える。

ロボットには絶対にできないこと

介護ロボットの市場が今後拡大していくと予想されている。「絶対に必要なもの」とか「皆がやりたがらないこと」がどんどんシステムやロボットに取って代わられてきた過去を振り返って見れば、必然的な流れだろう。

 

介護の仕事が好き、という人ももちろんいると思う。しかし、見ず知らずの老人たちに囲まれて用の処理をしたり、よくわからない話を聞いたりと、どちらかといえば好き好んでやりたいと思う人は少ないんじゃないだろうか。

 

こういった事実を踏まえれば、介護ロボットの市場拡大は、老人撲滅の思想と密接な関係があることがわかる。別に若者みんなが、老人達にいなくなることを直接望んでいるわけではない。しかし、今や膨大な人口になってしまった老人達をに手を差し伸べている余裕は若者たちにはないのである。たとえ断腸の思いであったとしても、私たちは老人達を切り捨て、自分たちの生活を充実させる方を選んでいる。その兆しが介護ロボットというわけだ。

 

老人ホームにとってはありがたいことだろう。ITやロボットは本来、労働力が足りない場所でこそ使われるべきものだと考えている私からしても、非常に貢献的な市場が確立されるように見える。ロボットが老人ホームのスタッフたちのサポートとして機能するうちはそれで良いと思う。

 

ただし、ロボットがほぼ完全に老人ホームの業務を奪ってしまうようになったとしたら、それは老人達にとって果たして良いことなのか、という懸念が残る。極端な例として、老人ホームのスタッフが全てロボットに置き換わったとしよう。さて、自分が老人になったとして、ロボットだらけの老人ホームに行きたいと思うだろうか。私は絶対に嫌である。

 

病院にしても同じことだ。治療や手術に関しては100%に極めて近い信頼性が保証されているならば、完全にロボットに移行しても差し支えない。しかし、入院中の検査や、診察といった業務まで全てロボット化が進んでしまうとしたら、それは患者にとってあまり喜ばしいことではないだろう。

 

ここに、ロボットの限界を垣間見ることができる。歴史を振り返っても、ロボットは人間の労働力に取って代わってきた。時代が進めばどんな分野でも人間以上のパフォーマンスを発揮する可能性を秘めている。しかし、ロボットが人間本体の代わりになることは決してない。ロボットには人間としての存在感を出すことはできないのだ

 

老人ホームの業務は沢山あるだろう。その中に、「存在する」という非常に重要な業務も含まれている。働いているスタッフたちにとってはそんな自覚はないかもしれない。しかし、老人たちにとっては、ただ「そこに人が存在する」だけでその場の価値が上がるのである。

 

どんどん人間の労働力がシステムや機械に奪われていることを危惧して、専門的なスキルを身に付けようと躍起になるのも確かに一つの戦略ではあるが、それはハイテクに対してハイテクで競うようなものである。

 

一方、ハイテクに対してローテクで戦う、という方法もある。例えば、超一流ホテルのリッツカールトンのサービスが本質的にロボットやITに取って代わられることはない。なぜなら、リッツカールトンは接客を通じて、人間としての存在感で勝負しているからだ。ロボットにもできたとしても、人間がやるからこそ意味のある仕事で勝負すれば、人間にも分があるのではないか。