∑考=人 〜プロメテウス〜

そして今日も考える。

ブログの言動に責任を持つべきなのか

今や色んな人がブログを書いています。芸能人やAV女優はもちろんのこと、著名人、企業もブログをアップすることが増えてきました。私のような一般の学生、一般の社会人の中にもそれなりに何かを探して書いている人もいると思います。ブログとしてアウトプットを出すことに価値が認められてきたのでしょう。採用活動に個人のブログの評価を組み込んでいる会社なんかもあったりするようです。一億総ブロガー時代もそう遠くはないのかもしれません。

 

今日のテーマはブログの発言に対する責任についてです。ブログというのはウェブ上にアップするわけですから、理論的には全世界の人が閲覧することができます。当然、たった一人のブログのたった一行が、他人の人生に影響を与えることもあるでしょう。それはいい意味でも悪い意味でもです。

 

中には、無責任に書かれた記事を見て、ひどく傷ついたり、イライラする人もいるでしょう。特に、ブログは私のように匿名でも書く事ができるので、発言の自由度は極めて高いです。そういうわけで、読者への影響も配慮して、ブロガーは自分の意見に責任を持つべきだ、という主張が最近は目立つようになってきました。

 

私は一応ブロガーの端くれとして、それなりの自分の発言には気を遣っているつもりです。気を遣ってはいますが、それは他人の人生に対する責任という大げさなものではなく、自己保身の一種なのだと思います。仮に、私の発言のせいで人生が大幅に狂ってしまった人が現れたとしても、私がその人の責任を代わりに取ることはできませんし。

 

別に私自身が責任を放棄するつもりはありません。今は何の問題もないのかもしれませんが、たとえブログ上の記事であっても、その発言が与えた他人への悪い影響は自分に返ってくると思っています。そういう意味では他人への悪影響についても責任は持っています。しかし、ブログの一読者が「全てのブロガーは自分の発言に責任を持つべきだ」みたいな前提条件で他人のブログを見るのはあまりに無責任過ぎると思います。

 

そもそも、ブログは発言と違って、インタラクティブなものです。直接的な発言であれば、聞く気もないのに聞かされることもありえるので、発言に責任を持つ必要があるのかもしれません。しかし、私がブログに何か相手の気分を害するようなことを書いたとしても、それを見なければ何の問題もないのです。見るか見ないかの判断を見誤った読者自身にも責任はあります。

 

そうは言っても、見るつもりもないのに見てしまうこともあるでしょう。例えば、普通の動画サイトを訪れたつもりなのに、アダルティな広告が貼り付けられていることがあります。見ている方からすれば、こんなところに貼るなよ、と言いたくなります。でも、先ほどの私の考え方で言えば、いやいや、じゃあ見に来なければいいじゃん、という話になってしまいますよね。こういうわけで、実際にはどちらに責任があるというわけではなく、どちらにも責任があり、それなりの配慮をする必要があるのです。

 

究極的に、責任を考える上で肝に銘じておきたいのは、結局誰が1番困るのか、ということです。もし自分が1番困るのなら、相手に責任を求めるよりも自分の中に責任を探した方が圧倒的に問題解決に近づきます。少なくとも、ブログの無責任な言動に困っているのがあなたなのだとしたら、「ブログに責任を求めるべきだ」と主張し続けるよりも、ブログを読まない、あるいは良質なブログを探すための方法を探す、といった方策を取る方が極めて利口な対処です。

 

例えば、私がブログ上で、極めて不適切な表現を使ったとしても、私自身が誰なのか判別するためにはかなりの苦労を伴うでしょうし、それについて咎めることはできません。私を咎めて更正させることができたとしても、同じような人たちは枚挙にいとまがありません。結果、世界は何も変わりません。自分が気に入らないと思った、たった一人の他人を更正させるのも一苦労なのに、そんな人を片っ端から片付けていく、なんてバカらしくて実行する人はいないでしょう。

 

そして、すでにブロガーたちの認識では、炎上をポジティブに捉える思考法が確立されています。炎上はたいてい問題のある無責任(?)な発言から起こる現象ですが、ブログを書く人にとっては、たとえ反感を喰らったとしても、他人に影響を与えることができたという意味でポジティブに解釈されるのです。他人の感情をかき乱せたことに自分のブログの価値を感じるわけです。

 

もちろん、炎上するブログの中にも、批判意見しかないほど無責任なものもあるかとは思います。でも、ほとんどのブログの意見は賛否両論になっているだろうし、たまたまあなたにとって気に入らない表現だっただけなのかもしれません。ならば、それについて咎めようとしてもただの自己満足になってしまいますし、そうすることで自分の不快感が解消されるわけではありません。

 

別に暇つぶしとか憂さ晴らし、ストレス解消が目的で、こういった”いかにも正しい”主張をするのは個人的にはいい(そういう人がいても良い)と思っています。ですが、本気でそう考えている人がいるとしたら、まずそれで困る人は誰なのか、どの程度困るのか、よく考えた上で、責任の所在を定義してほしいと思います。