∑考=人

そして今日も考える。

ラストアルバイト

昨日はバイト最終日でした。考えてみれば、これでパチンコ屋で働くことは(おそらく)もう二度とないだろうし、アルバイトという形態で働くことも(おそらく)ないでしょう。終わりの重みが違うせいか、今までのアルバイトの終わりとはまた違った感慨深さがありました。まぁ1番忙しいコースに放り込まれてセンチメンタルに浸っている余裕はありませんでしたが。

 

今回のアルバイトに関して言えば、コミットの度合いについて自分なりに少し後悔している節があります。それは仕事然り、人間関係然り。もともと、研究、すなわち大学院生活に重きを置くつもりだったので、アルバイトは生活費の足しにするだけ、という当初の目的は真っ当に果たしたことにはなります。しかし、それはそれで必ずしも良かったと言えるんだろうか、なんて懸念もやっぱりあります。

 

友好的な人が本当に多かったし、本気で仲良くすれば、かけがえのない友人もできたかもしれない。あるいはそれによって、より楽しい時間を過ごすこともできたかもしれない。もちろん、それを選ばなかった今の人生自体に不満があるわけではないんです。でも、そういう人生もあったんだろうな、とは純粋に思います。とは言え、学生時代はそんな感じで留年してしまったわけで、どっちの選択をしても多少の後悔は残るということを知りました。日々の行動選択って、実は一つ一つが究極の選択なんですね。これで留年したら笑うしかありません笑。

 

しかし、敬遠していたはずのアルバイトの友人たちに送別会を開いてもらえました。これは素直に嬉しかったです。タバスコ一本分をかけられたピザを食べさせられたり、路上でケツ丸出しで胴上げされたりと(笑)かなりの被害に遭いましたが、それはそれで楽しい時間です。私の考えとは裏腹に、自分を受け入れてくれる人達の存在を知って、柄にもなく少し罪悪感や自分のちっぽけさを感じてしまいました。

 

もちろん、今の私にとって主要な居場所の一つであったことは事実です。基本的に単独行動が多かったですが、こういった人達の存在があったからこそ孤独に耐えることができていたのかもしれません。今日で彼らと日常的に会う機会が無くなると思うと、やっぱり寂しいものです。

 

別れなんて誰も経験したくないし、私だってそれは同じですよ。でも、別れは人生の醍醐味ですよね。人との別れ、生活との別れ、世界との別れ。これらはどうあがいても避けることはできません。ならば、別れに対してどれだけポジティブな解釈ができるのか、別れが来ることを受け入れた上でどんな選択をするのか。これが大事になってくるんでしょうね。