∑考=人 〜プロメテウス〜

そして今日も考える。

理系の文章の正しさとは

 

とりあえず、修士論文の執筆が終わり、あとは教授からの指摘を待つのみです。TeXの使い方あんまり知らなかったせいでちょっと手こずりましたが、約2週間足らずで完成しました。よく頑張った自分にお疲れ様と言いたい。まだ死ぬほど訂正させられると思いますが。

 

これまでも、自分のグループ担当の助教授には何度もチェックをしてもらいました。で、私が毎回指摘を受けたのは、言葉の使い方、そして、言葉自体の定義に関するものがほとんどでした。

 

私は正直、研究者の論文をあまり読みません。もちろん、先行研究の結果や、考察で述べられていることなどには少なからず目を通しています。しかし、英語の論文が多い上、学術的観点から文章を読んでいるので、「論文における正しい文章の書き方」についてはほとんど理解していません。

 

なので、私の平常な感覚で文章を書くと、(論文的に)正しくない表現になってしまうようなんです。いくつか助教授から指摘を受けた具体的な点を紹介しましょう。

 

例えば、「私は動物である」と主張する場合を考えます。このとき、いきなり「私は動物だ」と主張しても何の裏付けもなく、説得力がありません。そのため、「私は動物」であることを示すために、「私は人間である」ことと、「人間は動物である」ことを主張することにより、論理を展開させます。

 

この場合、文章の区切り方として、次の4通りを考えてみます。

 

  1. 「私は人間である。また、人間は動物である。よって、私は動物である。」
  2. 「私は人間であり、人間は動物である。よって、私は動部である」
  3. 「私は人間であり、人間は動物であるため、私も動物である。」
  4. 「私は人間である。さらに人間は動物であるため、私も動物である。」

 

さて、どれが正しい文章でしょうか。私は1番目が○、2, 3番目が△、4番目は×だと教わりました。私は3番の表現を割と多用していたため、指摘を受けた、というわけです。

 

この理由を考える上で必要なのは、文の構成要素の役割を明確にすることです。ここで単純に、「私は人間である」という主張をA、「人間は動物である」という主張をB、「私は人間である」という主張をCとします。

 

この文において、AとBは、Cを裏付けるための補強材料としての役割を果たしているため、役割としては全く同じ並列関係にあります。そのため、AとBを一つの文としてまとめるのは問題ありません。しかし、Cはこの文の最終的な主張であり、1番大切な主張です。よって、Cは主役であり、脇役のAやBとは役割が全く異なります。なので、AとBをまとめて一文にするのは許されるが、「AとC」や「BとC」を一つの文にまとめてはいけない、ということでした。

 

確かに論理的には正しいんですよね。同等でないものを並列で結んではいけない、これは当たり前のことです。でもここに私は浅はかさを感じますし、理系が越えられない文系の壁を感じました。結局、これって一般論の話じゃね?って思ってしまうんですよ。

 

正直、私も上記の例文の場合、1番目を使うと思います。でもそれは主張するべきことがこの程度の極めて短い文に集約されている場合に限ります。ツイッターでは1番目の書き方を使っても、ブログでは必ずしも1番の書き方をするわけではないということです。この短い文の中では主役であっても、少し長い文の中ではほんの脇役に過ぎないことも多々あるからです。

 

そして、私が重要視しているのは一文の長さです。実際の文章は、上記の例文のように簡潔な主語になっておらず、必ず修飾語を伴います。つまり、「私による社会のための献身的な行動は~」みたいに長い主語が登場してくるわけです(もちろん実際にこんな文を使ってるわけではありません)。

 

すると、先ほどの論理展開を考えるとき、Aの主語が長く、Bの主語は短い、といった場合も登場します。この場合、Bだけが短い文になりアンバランスです。素直に書けば、CはAと主語を共通しているため、Aと同等くらいに長い文章になるでしょう。しかし、「この」や「その」を使うことでかなり主語を短くすることが可能です。「私による社会のための献身的な活動は~」と述べた少し後であれば、「この献身的活動」ぐらいでも問題ないはずです。

 

結局、Aだけが長い文ということになり、アンバランスになります。この場合、むしろBとCを繋いだ方が、スムーズでリズミカルになると私は感じるのです。もちろん、これは私の主観的な感覚であり、正解ではありません。それでは読みにくいと感じる人もいるでしょう。特に、理系の論文などの難解な文章においては、曖昧さを含む表現が嫌われるんでしょうね。しかし一般論として、表現方法としては間違っていても、仮にその方が読みやすいのであれば、安易に間違っていると結論づけるべきではないと思うのです。

 

「この」や「あの」を多用しないことや、「一文を長くしない」ことは文章の基本です。ただし、このルールに囚われすぎて、こそあど言葉を使ってはいけない、一文は短ければ短いほどいい、という発想になるのも違うんじゃないですかね。たまたま私の助教授が文章表現に細かい人だった可能性はもちろんあります。しかし、理系の研究者たちには、一度論文って何のために書いているのか、ということをよく考えた上で「正しい」表現方法を考えて欲しいものです。