∑考=人 〜プロメテウス〜

そして今日も考える。

スタートが早けりゃいいってもんじゃない

本日修論締め切り、無事に提出してきました。なんやかんやで、昨日は(おそらく初めて)深夜の3時ぐらいまで研究室に引きこもって細かい作業をしていました。残すは発表のみです。修論書き終わったし一段落、と思っていたのですが、先生が明日までにプレゼン資料を作れと。マジで無茶ぶりは大概にしてくれ・・・。

 

ちょっと話を脱線します。今までの経験から、そして修論を書いていて思ったことです。それは、自分があまり気乗りしない分野で何かを成し遂げなければならないとき、かつ、いつやるかが決まっていることに関しては、あまり早くスタートを切ることはおすすめしません。

 

例えば、今回の修論、私が執筆するのをあと二週間早めていたとしましょう。ならば、提出より二週間早く終わっていたでしょうか。答えはノーです。提出期限が決まっている以上、結局期限ギリギリまでの時間と労力を修論に捧げるハメになります。

 

受験勉強も似た類です。高1の春から勉強しようが、高3の夏から勉強しようが、受験当日ギリギリまでの勉強するという未来は確定的になります。なぜこのようなことが起こるのでしょうか。

 

それは100%の完成度はありえないにも関わらず、100%を目指すのが人間だからです。もちろん、時間をかけた分だけ100%には近づきます。しかし、いくら時間をかけても100%にはなりません。

 

例えば、今日私がかけた修論の完成度(質)が70%だったとしましょう。2週間早くスタートすれば、おそらく80%くらいに質になっているはずです。では1ヶ月早くスタートすれば、何%でしょう。2週間で10%上がったから、倍の1ヶ月なら20%?それだと、1ヶ月半で100%になってしまうので先ほどの意見と矛盾してしまいます。

 

おそらく、1ヶ月半かけても85%くらいでしょう。そして、半年かけてやっと90%ぐらいの質になるんじゃないかと思います。いえ、もうその辺りから努力量と質の因果関係は崩壊しています。受験勉強ではよく耳にしますが、70点を80点にするよりも、80点を90点にする方がはるかに難しく、時間を要するのです。私は修論の質については端から7割(もしくはそれ以下笑)を目標にしていました。後半にかけて予想以上に熱がこもってきましたけどね。

 

最初に述べたように、これは「自分があまり気乗りしない分野限定」のスタンスです。例えば、オリンピックに出場する選手は、次の出場は4年後だから、といって最初の1年は練習しない、なんて人はいません(たぶん)。彼らはその分野こそ自分のフィールドであり、その分野では100%の質にこだわることこそが彼らの人生において最も重要なことでだからです。そう言う意味で、私にとって、目標のための1ステップに過ぎない修論とは全く異なるものなのです。

 

別に乗り気でない分野で100%を目指すべきではない、と言いたいわけではありません。どんなことでも質にこだわるのは大切です。でも、自分のスペックを超越する質にこだわりすぎてもあんまりうまくいかないんじゃないかなーというのが私の意見です。

 

私は、もっと早く勉強していれば、もっと偏差値の高い大学にいけたと友人からは言われることがあります。しかし、個人的には、もっと早く勉強していたら、持久力が持たずに失速していただろうと思っています。今回の修論にしてもです。もう今は何にもしたくありません笑。

 

自分のタフさに自信がある人なら長期的に頑張って質を高めるという選択をしてもいいと思います。しかし、人生において何か一つを成し遂げるために全力を尽くすということは、他のあらゆる選択肢をバッサリ捨て去ることを意味するのです。当然スタートが早ければ早いほどその選択肢は減ることになります。

 

さらに最後まで努力が持たなかった場合を考えれば、捨てた選択肢はより一層色鮮やかに見えることになるでしょう。何かを一生懸命頑張ることには色んな覚悟が必要なのです。もっとも私に関して言えば、覚悟を決めてもっと長期的に取り組めることを見つけた方がいいのでしょうが。

 

目標に取り組む際には、「どのくらいの時間が必要なのか」「どのくらいの時間なら自分は持つのか」「他に取り組みたいことはないか」、ということをよーく考えておくと後悔が少なくなります。