∑考=人 〜プロメテウス〜

そして今日も考える。

僕たちは皆コネ入社です

今はどうか知りませんが、「コネ入社」というとあまりいいイメージが持たれないような言葉だったと思います。少なくとも私個人としては、コネクションを利用することで、価値あるものを得ることができるなんて許せないものがありました。ですが、それは既得権益としてのコネクションです。

 

今の就職氷河期において、散々会社を回った挙句内定をもらえなかった人たちが、「親の知人に○○会社の人事部がいる」というだけで内定をもらえる人がいることに納得するのはなかなかできるものではありません。コネクションのない人にとっては、コネクションのある人は羨ましく、妬ましくもあり、ただただ狡い行動として映るからです。

 

一方で、戦略的にコネクションを作る人達もいます。私の友人の中には少ないですが、法律事務所や出版社に入ろうと本気で考えている人は、コネクションの重要さを知っているため、どうにかコネクションを作ろうとしています。今では主に文系の民間企業においても、どれだけ会社の人と友好関係を築けるかに注力することが採用を勝ち取るための一つの方法論にもなってきています。

 

さて。こういった自分たちで作り上げたコネクションを利用するのは狡猾なことでしょうか。単純に既得権益としてのコネクションとは全く違うため、単純に人との繋がり=コネクションという言葉にしてはいけないはずです。

 

コネクションが狡猾だという発想には、「自分は自分自身の能力によって評価されるべきであり、他人から与えられた能力によって評価されるべきではない」という思想が隠れています。すなわち親がたまたま社長だっただけで、何の能力もないのに社長になるなんてどうなの?親がたまたま人事部と知り合いだっただけで、何の能力もないのに採用されるってどうなの?という発想に繋がるわけです。

 

しかしながら、既得権益としてのコネクションは何もない人が、社長になるために、退任間近の社長とコネクションを作り上げて社長の座を譲り受ける、あるいは、内定を勝ち取るために、会社の人と多く交流する機会を持ち、人事部と仲良くなる、という場合はどうでしょう。

 

少なくとも、何の努力もせずに価値あるものを手に入れる人に比べれば、コネクションの重要性を理解した上で、そこに努力してコネクションを手に入れた、ということではあります。ならば、コネクションを作り上げたのは他ならぬその人自身なので、特に狡猾ではないんじゃないでしょうか。

 

いや、それでも狡いだろ、って思う人。結論から言うと、私たちみんなコネ入社です。採用の本質は、学生の努力や能力ではありません。会社の人達との面接を通して、コネクションを作り上げていくことのできる人であり、信頼するに値する人だと相手に認識される人が採用されます。それを調べるための手段として、学生時代に頑張ったことや、志望動機を聞くだけなのです。そして、ちゃんと信頼を得ることができた人が採用されます。つまり、内定もらった人はみんなコネ入社というわけです。

 

ここまで聞いても納得できない人もいるでしょう。失礼な話、その人たちは、一生懸命さ以外に売りがない人だと思います。与えられた正規のルートこそが正しく、そこで一生懸命やることが正解だと思っていることでしょう。しかし、与えられていないルートを自分で考え出し、そこで一生懸命やる人の方が残念ながら賢明であり、その人たちが果実を得るようになっています。

 

正規のルートにはたくさん人が並んでいます。実際には、たくさん並んでいるから正規のルートになっているだけなのです。そこで、少ない椅子を取り合って勝てる人はもちろんいるでしょう。でもそれはごく少数です。そして、より一生懸命やった人が勝つわけではありません。皆一生懸命だからです。悲しい事実として、一生懸命なだけでは何もできないことの方が多いのです。

 

もちろん、正規の方法で真っ当に努力することこそが自分の信念ならば、それを貫いてほしいと思います。たとえ、 初めからわかりきっていた失敗が来ても、信念を曲げるよりはマシなはずです。でも、あくまで結果にこだわるならば、正規のルートではなく、自分の正しさの判断基準によって別のルートを探し、そこで一生懸命にやるほうが競争率は必ず低くなるでしょう。