∑考=人

そして今日も考える。

犯罪が無くならない理由

少し前に読んだ本。 反省させると犯罪者になります。面白かったです。

 

 

筆者の主張は、タイトルにもあるように、犯罪者を反省させようとしても無駄、むしろ逆効果になる、ということです。刑務所の更生プログラムに関わらず、仕事で失敗をした人が、始末書などという名目で、即座に反省文を書かせたり文化が日本にはありますが、このような方法では反省文を書くのがうまくなるだけでしょう。

 

なぜかというと、加害者は被害者であるから、というのが筆者の主張でした。これは私もずっと思っています。他人に害を加える人はたいてい、誰かの被害に遭っているのです。よく、学園モノのドラマでイジメの主犯格が実は家庭内暴力を受けていた、という設定がありますが、あながち間違っていないのでしょう。

 

他人に危害を加えるのは、基本的に自我を抑制しすぎた結果起こる現象です。そして、自我を抑制せざるを得ないのは、その人を包括する環境に問題があるからです。だから加害者一人をとがめたと逆効果であり、抹殺したとしても、同じように別の加害者が生まれ、犯罪は無くならないのです。

 

筆者は、加害者の言い分を聞いてやることが重要だと言います。確かにその通りでしょう。話をちゃんと聞いてくれる人がいない、というのはそれだけで悪事へと向かわせる原因になりえます。ありのままの気持ちを受け入れてやることが大切なのです。

 

しかし、ここに問題があります。誰かのありのままの気持ちをありのままに受け入れることが極めて困難であるということです。人間は多様な生き物です。当然ながら、互いに考え方も異なれば、価値観も異なります。自分と異なる価値観を受け入れることの難しさは多くの人が知っていることでしょう。私も多様な価値観を認めるとしても、全く賛同できない価値観の人と行動をともにすることは絶対にありません。人間なので、受け入れられない考え方もあるのです。

 

すると、他人のありのままをありのままに受け入れるためには、自我を抑制する必要が出てきます。極端な例として、イジメられている被害者に対して、加害者がなんとなく気に入らないからという理由でイジメてたと正直に言ったとしたら、はいそーですか、ごめんなさいと納得できるでしょうか。できませんよね。つまり、ありのままを受け入れることとありのままを受け入れてもらうことは少なからずトレードオフの関係になっているのです。

 

誰かに与えたストレスは別の誰かへと伝播していきます。AさんのストレスがBさんに渡り、BさんのストレスがCさんに渡り、CさんのストレスがAさんに渡る、というように循環してバランスが取れれば良いのかもしれませんが、そういうことはまずありえません。結局、優しい人がたくさんの人のありのままを受け入れる中で多大なストレスを感じ、周囲に牙を向いてしまったりするのです。

 

つまり、ストレスの矛先を他人に向けてはいけないのです。もちろん、人に話すことでしか解消されない気持ちもあるでしょう。しかし、それは最小限にとどめるべきです。自分の中だけで、ストレスを解決する方法を皆が模索していく必要があるでしょう。散歩やランニング、筋トレ、ブログ、読書、映画鑑賞、音楽鑑賞など、一人でもストレスを発散する方法はいくらでもあります。たとえ、他人からストレスをもらったとしても、なるべく他人に押し付けないようにすることでしか犯罪は無くならないのです。