∑考=人

そして今日も考える。

結婚とは信頼の意思表明

友人たちが続々と結婚をしています。もう適齢期ですからね。実にめでたい。お幸せに。

 

かく言う私は結婚願望が全くありません。特に、子供を作るわけでもないのに、わざわざ結婚する意味が私には見いだせません。ただ付き合って同棲している状態と、結婚している状態に何の違いがあるのでしょう。

 

結婚した男性たちに聞いても、あまりコレといった答えをもらうことができませんでした(すでにしてしまった結婚という行為自体を否定するような発言のため無理もありません)。が、先日、とある女性と話をしている中で、少しだけヒントをもらった気がします。

 

実にシンプルな理由です。結婚するということが永遠の愛を誓う行為だからです。つまり、プロポーズをすることは「私はあなたを一生愛しますよ」という意思表明をすることと同義なのです。結婚式でも互いの愛を誓い合うシーンがありますが、まさにそこに意味があるというわけです。

 

考えてみればごく当たり前のことですよね。こんな簡単な理由に私は気づけませんでした。でも、この違いを理解していなかったわけではありません。この違いが(大多数の人にとって)それほど大きな意味を持つなんて考えたこともなかったからです。

 

多くの人は、「私はあなたを一生愛します」の一言に対して、相手に対する信頼を感じ取ることができるのだと思います。しかし、私にとって、永遠の愛を誓うことは互いに愛さなくなったとしても愛しているフリは永遠にしますという意思表示にしかなりえないんですね。ロマンのないことを言いますけど、一生互いに好きでいられる保証なんてどこにもありませんから。

 

結局、約束が効力を発揮するのは、どんな気持ちに変わったとしても、結婚しているという状態だけは保ちましょうということだけです。しかも犠牲を払えばその拘束すら取っ払うことができます。逆に言うと、「私はあなたを一生愛します」なんてことを平然といってしまうのはある意味詐欺のように感じます。

 

ただ、周囲の状況を見ていて思うのは、ここまで考えている人はおそらくいないということ、「私はあなたを一生愛します」という言葉からその人を嘘つきと解釈する人はごく少数であり、むしろそういった幻想じみたものを信頼してしまう人の方が大多数であるということですね。

 

あるいは、そういった100%ではない事柄を断言することに女性は男らしさを感じるのかもしれないし、それが信頼ということに繋がるのかもしれません。慎重派の私にはやや難しい思考プロセスです。