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∑考=人

そして今日も考える。

自虐ネタと他人いじり以外で笑いをとれ

先日、久しぶりに地元の友人と遊びました。深夜スタートで朝までカラオケ行って、寝て起きてパチンコ行って、またパチンコ行って、その後麻雀を次の日の昼まで、という恐ろしい活動時間の長さ。一番恐ろしかったのは、たった2日で財布の中から50000円が消えたことですが笑。

 

ただ、めちゃくちゃ面白かったです。地元の友人と遊ぶのは本当に面白い。大学院生活がすごくつまらなかったと感じるほどでした。実際には地元系(バイトなど)の友人とそれ以外(高校以降)の友人では根本的に面白さの種類が異なるだけなんですけどね。地元系の友人は「笑える」とか「可笑しい」の極みであり、それ以外(大学生系)の友人は「興味深い」的な面白さが主流になります。

 

残念ながら、私の友人の中には「可笑しさ」と「興味深さ」を兼ね備えている人間はほとんどいません。「可笑しさ」と「興味深さ」はトレードオフの関係なんじゃないかと思っています。そのため、日常的に付き合う友人の種類を1つに固定してしまうと、どちらかに物足りなさを感じ、つまらなくなってしまいます。

 

会社の同期とかの飲み会に行くと、ほとんどの人が「興味深さ」によっています。興味深いんだけど可笑しくないんですよね。人のこと言える立場じゃありませんけど。では「可笑しさ」って何なのかというと、今、この瞬間にどれだけおかしなことをするか、ってことです。変な顔、変な発言、変な動き。要するにボケですね。

 

ボケる人がいないんです。高校に入ったときにも感じました。ボケが圧倒的に少ないなって。ツッコミだけが大量に存在するんです。一番楽なので無理もないですが。私もできれば、ずっとツッコミだけやっときたいです。

 

高校はまだ良かったんですよ。大阪の高校だったためか、ツッコミに関して言えばまともに出来る人が多かったからです。しょーもないボケでも拾ってくれる人がたくさんいました。でも大学以降に関して言えば、ツッコミができない人が非常に多い(たぶん理系だからだと思ってる)。いや、ツッコミはできてるんですけど、はっきり言って全然おもしろくない。

 

大学以降の友人は、ボケないし、ツッコミもさほど面白く無い。でも笑いが全く起こらないわけではありません。私の分析によると、大学以降での鉄板の笑いの取り方は、2種類です。1つは自虐ネタです。「自分はこんなに馬鹿なことをした」というもの。もう一つが他人いじりです。「あいつはこんなに馬鹿なことをした」というものです。どちらも対象が自分か他人かの違いであり、いじりネタの一種です。

 

私はこれらの「いじりネタ」があんまり好きではありません。笑いの強要に繋がるからです。自虐ネタであれば、笑ってあげないと可愛そうだという心理が働きます。他人いじりに関しては、笑ってあげないとイジメになりかねません。そういう意味で、いじりネタはあまり笑いを取る手法として優れているとは思えないのです。

 

自虐ネタや他人イジリでしか笑いを取れない人は本質的に面白い人ではありません。なぜならほとんどのイジリネタは相手の愛想笑いを強要しているに過ぎないからです。逆に、自虐ネタや他人イジリで本物の笑いを取るのは実はすごく難しいものです。キツすぎればドン引きされるし、弱すぎればインパクトが弱くて、何が面白いの?となります。

 

でも、やさしい私達はとりあえず笑ってあげちゃうんですね。そうやって、皆どんどん笑いというものに鈍感になっていきます。だから、自虐ネタや他人いじりはすごく簡単に笑いをとる方法になっているんです。本当に面白くなりたいなら、自虐ネタや他人いじりに頼っていはいけないなーとしみじみ思います。人としての「興味深さ」があれば十分なのかもしれませんが、自分としては「可笑しさ」も兼ね備えた人間でありたいものです。