∑考=人

そして今日も考える。

一生探し続ければいい

私は「恋人探し」という行動に違和感を覚えます。というのも、恋人ができる健全な過程は、「好きな人ができた」から「その人を恋人にしようとする」、そして「(うまく恋が実れば)恋人ができる」という流れだと考えているからです。

 

逆に言うと、「好きな人ができない」のであれば、「恋人を作る必要はない」という考えに至ってもおかしくはありません。もちろん、そのように考えるのが普通だとは思っていません。しかし、これがもっとも理想的な形だと思います。

 

ただ、だいたいの人は、「恋人が欲しい」という気持ちから始まって、そのために「好きな人を探す」という恋人探しを行います。友人に紹介してもらったり、合コンなんかがそのいい例ですよね。

 

別にそれが間違った出会い方、という気はないんです。ただ何というか、普通に自然に心の内側から生まれる「好き」と、恋人が欲しいから始まった「好き」では種類が全く違う気がするんです。後者は人間の正当化能力によって定義された「好き」なんじゃないかなぁと。私はそういうのが嫌なので、紹介とか合コンには興味はありません(今のところは)

 

私が考えるに、「好き」という気持ちは定義するべきものではないんですよ。そして、好きを頭で定義してしまうことは、たぶん生きる上で最も良くない「自分に嘘をつくこと」につながってしまいます。心の内側から生まれる衝動がないために頭で好きだと定義する(思い込む)ということは、本当は好きではないのに好きだということにしているわけです。

 

こういった矛盾を抱えながら生きていくのはしんどいものです。でも、人間の感情は多様なものであり、罪悪感や劣等感などがその嘘の気持ちを正当化する方向に働かせるのも事実です。そのため、自分でもそれが本当の気持ちであるようになってしまうんです。

 

好きな人と一緒にいるはずなのに楽しくないというのは、ある意味好きという気持ちが嘘であることを証明しています。長年寄り添った恋人同士において、「マンネリ化」という言葉が使われます。個人的に、マンネリ化とは「もうお互いの心の中にあったはずの好きという気持ちは消え、ただその気持ちを正当化する感情しか持ち合わせていない状態」のことだと思っています。極論ですが。

 

「恋人探し」とよく似たものとして、「やりたいこと探し」があります。やりたいこと探しについてもおそらく同じようなことが言えるんじゃないでしょうか。ドイツの哲学者の言葉にこんなものがあったのを覚えています。

「人間はやりたいことを自由にできるがやりたいことを自由に決められない。」 

人間はやりたいことがあれば、それを実現するための方法は自由に選択できるが、やりたいことがなければ、それを自分の意志で決めることはできない、ということです。「これをしたい」とか「これが好き」といった欲求は自分の中から生まれてくるものですからね。

 

というわけで、恋人にしてもやりたいことにしても、ないならないで別に探す必要なんてないのです。でも私達はそれを探します。じゃあ好きな人もいないのに、恋人を探すのはなぜなのか。それは簡単な事で、「一人だと寂しい」であったり「性的欲求を満たせない」といったデメリットが存在するからです。

 

恋人がいないことによるデメリットが大きいからこそ、とりあえず誰でもいいから恋人が欲しい、という発想になるのです。逆に恋人がいないデメリットが小さい(恋人がいるデメリットが大きい)と感じていれば、好きな人をわざわざ探そうとはしないはずです。

 

やりたいこと探しについてもそうです。なぜやりたいことを探すのか、それは「やりたいことがない人生は退屈」であり、「やりたくないことをやる人生は苦痛」だからです。そして、やりたいことがないデメリットは非常に大きいです。死んだ方がマシだと思うくらいです。ただ、死ぬことも常人にとっては最大級のデメリットなので、大変苦しむことになります。何もやりたいことがない人で平然と生きている人がいるなら、一度お会いしてみたいものです。

 

さて、長くなってしまいましたが、こういった理由のために、人は欲求を定義する(自分はそれが好きだ、それがしたいのだと思い込む)ことによってその時の苦しみから逃れようとします。

 

実は、人間が思い込もうとするのは、本音と願望、不安などが激しく自分の中でぶつかっているからです。これはやりたいことではないんだけど(本音)、これがやりたいことだったらいいのにな(願望)、これがやりたいことじゃなかったらまた思い悩むことになってしまう(不安)、というように。決めてしまえば迷いから開放されて楽なわけです。

 

でも、それはたいてい間違っているんですね。もちろん、決めた後に間違いに気づいてやり直せば良い話ですが、思い込みが強いほど、そして後になればなるほどやり直せなくなってきます。私もそうです。

 

だから、もう一生探し続けていればいいと思うんです。恋人にしてもやりたいことにしても、一生探し続ければいい。そういう前提にたてば、別に「この仕事!」とか「この人こそ!」と下手に意気込む必要もなくなります。

 

そんなことをしていたら中途半端になってしまうだろうと思われるかもしれませんね。おそらくその通りです。でも、自分に嘘をついたまま生き続けるよりは自分の気持ちにしたがって中途半端に生きている方がきっと幸せな人生だと思います。そして、探す上で思い悩んだり、迷ったりすることこそが人生そのものなのではないでしょうか。

 

 

哲学の先生と人生の話をしよう

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