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クリエイティビティが重宝される時代だからこそ単純作業を侮ってはならない

近年は、肉体労働や単純作業が機械やコンピュータに取って替わられています。そのため、知的生産力、クリエイティビティが求められる時代になったことは周知の事実です。

 

知的生産力は、基本的に努力量と成長量が比例しにくい能力です。もちろん、努力しても無駄、というわけではありません。しかし、何も考えずひたすら反復練習をしているだけで会得できるほど単純なスキルでもないのも事実です。さらに才能や資質が関わる個人差の大きい能力とも言えるでしょう。

 

だからこそ、自分が勝てる分野を見つけることが大切だ、という主張が近年主流になっているのです(組織レベルにおいても個人レベルにおいても)。「諦める」という行為を前向きに捉える人が増えてきたのも、知的生産力やクリエイティビティは努力だけでは身につけられないかも、という認識が普及してきたからでしょう。

 

当然ながら、肉体労働、単純作業ができるだけの人間は淘汰されていくことになります。今、ビジネス世界の認識では、単純作業ができるだけのビジネスパーソンにはコモディティな存在であり、大した価値のない人間と評価されてしまいます。

 

しかし、肉体労働や単純作業をこなす能力があることに何の意味もない、というわけではありません。ほとんどの知的生産は単純作業の上に成り立っているからです。そして、知的生産、に含まれる単純作業だけを乖離して、機械やコンピュータに任せることは(少なくとも現時点では)できないのです。

 

例えば、単純作業の一つにタイピングがあります。ただ単に、タイピングが速いだけではビジネスとして大きな価値を生み出すことはできません。そのため、市場において、タイピングが速いだけが取り柄の人には大きな価値はありません。

 

ただし、速くタイピングができると良いことがあります。頭の中で考えたことをすぐに文書化できますし、プログラミングをする際にも、頭で考えたアルゴリズムをパパっと記述できます。つまりタイピングの能力によって、クリエイティブな活動が支えられているのです。これは私自身がよく感じています。

 

もし、タイピングが遅かったり、ブラインドタッチができなかったとしたら、文章を書くときに、「Kはどこにあって・・・」とか「変換はどうやって・・・」余計な思考を働かせる時間が必要になってきます。

 

創造的な活動中では、一瞬でも思考が阻害されると著しく生産性が落ちてしまうので、単純作業ができないことは大きなマイナスポイントになります。逆に言えば、単純作業能力はクリエイティブな活動を円滑にするための礎になっているのです。

 

画家も同様です。画家といえばアーティスティックなものの代表であり、そもそも絵を書くこと自体がクリエイティブだと思われがちですが、実際には「頭の中のイメージを模写する」という単純作業と「書くべき絵を考える」というクリエイティブな要素に分けることができます。

 

これら2つの要素を切り離すことはできません。よって、少なくとも模写をする能力が一定以上に高くない限り、クリエイティブな活動すらできないということになるのです。つまり、単純作業ができても仕方がない、というのは、単純作業だけができても仕方がないということであり、単純作業すらできないようでは何にもできないのです。

 

幸い、単純作業は、何も考えずひたすら練習するだけでもそれなりに上手くなるものです。何にもクリエティブなことができない人は、とりあえず、どんな単純作業でもいいから極めてみるのもいいでしょう。本当に極わったとき、その単純作業が何かしらの知的生産の役に立つかもしれません。