∑考=人 〜プロメテウス〜

そして今日も考える。

半年前の人物評価は当てにならない

研修の内容が易しすぎて非常につまらない。講師の人はすごく説明が上手いんだけど、如何せん私にとっては易しすぎる。こんなことを公言すれば、みんなに対して嫌味になってしまうので、特に言わないようにしているが、演習の進み方が私だけ異様に速いので、そろそろアホキャラで通すのも困難になってきた。

 

こんな書き方をすると、私が凄く優秀なように聞こえるかもしれないけど、クラスの中に限った話である。そして、入社前の簡単なテストやアンケートの結果に基づき、クラスは決められているのだ。

 

ちなみに、クラスのレベルは4段階あり、上、中、下の3つの他に上位5%ぐらいの人が入るエリートコースがある。私は中のクラスである。一応、情報系出身の人は私の他に一人しかいない。だからある意味、私がそのレベルの講義に苦戦していてはお話にならないのだ。

 

とは言え、私がそのくらいのレベルであると判断されたからこそ、今のクラスに分類されたことは事実である。強気で言わせてもらうと、私を最上位クラスに分類しなかったのは、ミスマッチ、会社にとっての機械損失である。おそらく、私以外にもそのような境遇の人はいるはずだ。ではなぜ、このような機械損失が起こってしまうのか。

 

答えは簡単なことである。先ほど、入社前のテストとアンケートの結果でクラスが決定されたと述べた。このテスト等は、半年前に行われたものだ。すなわち、半年前の姿で入社後の人物を評価してしまっていることが問題なのだ半年で人間がどれほど変化するか、ということを会社側は全く考慮できていない。

 

半年で人間がどのくらい成長できるかと私が聞かれれば、高校三年間の授業内容まるまるインプットできるぐらいである。反対に、半年あれば、同じくらいの知識を失ってしまうこともありえる。要するに予想できないほど変化するということだ。それはスキルや知識に限らず、考え方や価値観についても同様のことが言える。

 

つまり、自分たちの都合で半年も前に選別を行うことがそもそもの間違いだったのである。これは入社の約1年前に内定が出る日本企業のシステムについても同様だ。面接の時は優秀だった人が1年後も優秀であるとは限らないし、面接の時に優秀でなかった人がその後も優秀にならないとは限らない。時間がたっても変わりにくいのは適正や資質だけだ。

 

客観的に考えれば、昔凄かった人は今も凄く見えるものなのかもしれない。逆に、昔ダメだった人は時間が経ってもダメに見えてしまうかもしれない。大衆の考え方はそういう安直なものだ。

 

しかし、この考え方は考えることを放棄した人間の発想だ。この考え方が当たり前になれば、洞察力はどんどん無くなり、人をちゃんと見ることができなくなる。もちろん、そういう評価方法を他者に求めてはいけない。評価される側としては、明らかな変化を感じさせることができなければ意味がない、ぐらいに考えておくのがよい。というわけで、会社には今の自分の姿でわからせてやろうと思う。