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∑考=人

そして今日も考える。

人と話したくないなら一人の時間を確保しよう

疲労というよりは消耗という言葉がふさわしい。最近、自分自身の消耗をひどく感じる機会が増えた。

 

仕事が辛いという話ではない。毎日お酒を飲むのが辛いわけでもない。散々ブログでも書いているように、人間関係における消耗が激しい。広義な意味合いで捉えるのであれば、ストレスを感じているのかもしれない。

 

別に気に入らない人が多い、というわけではない。どうしても集団で集まる機会が多いため、個々の魅力が現れにくいのは否めないが、ちゃんと話をすれば皆それなりに個性があるとは考えている。

 

もちろん、集団のノリにもついて来れる人の方が私は好きだが、別にそれができないくらいで嫌いと思ったりはしない。私に対して過剰な要求をしてくる人は面倒くさいが、それ以上でも以下でもない。調子に乗ってイキっている人を見ても、昔ほど大きな嫌悪感を抱くことも無い。

 

では、何に疲れているのかというと、どこへ行っても人がいることである。朝早く会社に行けば、クラスには知り合いがいる。休み時間トイレに行っても、喫煙所へ行っても人がいる。その人が嫌いとか、そういうことではなく、ただ純粋に一人の時間がほしいのである。私自身の孤独願望が異常なのかもしれない。

 

考えてみれば、今までの私は一人の時間とのバランスによって人間関係を上手く保ってきた。そして、以前はかなり多めに一人の時間を確保することができた環境があったのである。しかし、今はそれがない。

 

また、高校ぐらいまでであれば、常に群らがって毎日しょーもない話をすることが生きがい、といってもいいぐらいに人との繋がりを楽しむことができた。しかし、今の私には難しい。数年の時を経て成長してしまったのだ。

 

とは言え、決してずっと一人で過ごしたいわけではない。たとえ気の知れない人であっても適度なコミュニケーションは取りたいと思っている。しかし、一人の時間にエネルギーをチャージしておかないと、あるいは自己と向き合っていないと、人と過ごす時間を最大限に楽しめなくなるのだ。

 

話のネタも思いつかない。面白いヤジもツッコミも飛ばせない。話す元気もモチベーションもない。そんな状況の中では、意味がなく、かつつまらない話しかできなくなってしまう。互いにぎこちない愛想笑いしか生まれないようなら話したくないのである。それは私自身が嫌、という気持ちと相手に申し訳ない気持ちがあるからだ。

 

そういうわけで、最近はなるべく一人の時間を上手く確保するように努めている。例えば、今は出社の1時間前に出勤している。これは満員電車を避けるため、という口実だが、実際は同期となるべく接触しないためである。せめて出退勤時の時間ぐらいは一人になりたい。

 

また、早く出勤しても(会社の近くで)朝マックをしている。そのマクドではちらほら同期が真面目に勉強していたりするのだが、どう考えても私とはタイプの違う人が多いので特に話す必要もない。Kindleで読書とかしておけば何も気にせずゆったりできる。最近は退勤してから飲み会までの時間でさえ、なるべく一人で過ごすようにしている。

 

嘆いても始まらない。自分は自分で守らなければならない。また、逆説的ではあるが、本物の友好関係を築くためにも孤立していく姿勢が必要なのではないか、と思っている。

 

もちろん、おそらく多くの人がそうであるように、「陰キャラ」と罵られること、FOMO(取り残される不安)に全く恐怖を感じないわけではない。しかし、そこで頑張るのはレッドオーシャンで戦うようなものだ。しかもその先に幸せが待っているわけではない。空気を読むことは大切だが、果たして自分はどういう行動をとるべきなのか、常に頭の片隅に入れておかなければならない。