∑考=人

そして今日も考える。

虎の威を借る狐

昨日は特別プログラム、ということで、とある著名人が講演のためにやってきた。情報漏洩の観点から、名前までは明かせないけれど、たぶん日本国民なら誰でも知っている有名人である。

 

案の定、会場は大盛況であった。ビジネスとは異なった観点から、彼の人生を紹介しつつ、目標に向かってチャレンジすることの大切さを語ってくれた。前日は同期の家でほぼ朝まで飲んでいたので睡眠不足ではあったのだけど、それでも眠りに落ちることなく、講演を聞くことができた。

 

実を言うと、私がその著名人に合うのは二度目である。過去に私の高校にも講演にやってきたことがあった。その人は私の高校の先輩にあたるのだ。もちろん、面識があるわけではいし、話をしたこともない。

 

ただ、母校(高校)が同じであるのはおそらく同期の中で私だけ、と考えると少し誇らしくなった。周囲にも言いふらした。一方で、そんなことを誇らしく思ってしまう自分を恥ずかしいと思っていた。

 

知り合いに凄い人がいる、という話は、そこら中に溢れている。私の友人は芸人、私の友人はモデル、私の友人は起業家、私の友人は東大卒、私の友人はマッキンゼー、などなど。

 

もちろん、自分の知り合いや何らかの繋がりを持った人が凄い人であること自体は誇らしいのかもしれない。しかし、それは同時に、自分がいかに卑小な存在であるのかを語っているようなものである。少なくとも、凄い知り合いがいるから自分も凄いというわけではない。

 

虎の威を借る狐になってしまったら、自分は何者にもなれない。