∑考=人 〜プロメテウス〜

そして今日も考える。

生きることは面倒くさい

社会人になって、色んなことを面倒臭いと感じるようになった。

 

郵便物の確認。電気、ガス代の振込。家賃の振込。洗濯に掃除、部屋の片付け、食事。一言で言えば、それほど大したことではない。しかし、例えば、洗濯1つとっても、洗濯機を回して、ハンガーにかけて、干して、乾いたら家の中に入れて、ハンガーから外して、畳んで、片付ける、という複数のプロセスを行う必要がある。

 

掃除1つとってもそうだ。まず物の置き場を決めて、物がない場所を掃除する。適宜床だけでなく、棚の上やトイレ、風呂場なども掃除しなければならない。掃除するためには、洗剤やシートなどを事前に購入しておく必要があるし、無くなれば随時補充し無くてはならない。実に面倒だ。

 

学生の時は、今と比べれば膨大な時間があったので、面倒なことをやっている余裕があったので、そこまでは気にならなかった。しかし、社会人となり時間の有限性を知った今、これらの面倒な作業に時間を費やしていると何ともやりきれない気持ちになる。今日も掃除をしているだけで半日過ごしてしまい、「おれって何のために生きているんだろう」なんて思った。

 

でも、たぶんこれが普通で当たり前なのだろう。子供の頃がむしろ特殊で、そういった面倒くさいことは全て親がやってくれていたのだ。それは子供が自立していないからであり、子供が自分一人で生きていない証拠なのだ。

 

社会人だから面倒くさいのではなく、生きていることは面倒くさくて当たり前、そういう結論に至った。生きることが面倒くさくないなら、それは自分で人生を生きていない、ということなのかもしれない。

 

面倒くさいことにたくさんの時間を消費しながらも、時間を捻出して、自分のやりたいことをいかに実行するか。それを考え抜く姿勢がこれからは求められるのだろう。そのためにも面倒臭いことは今すぐにやってしまう。どうせ面倒くさいことから逃げることはできない。

 

いつやるか? 今でしょ!

いつやるか? 今でしょ!