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そして今日も考える。

会社に残るだけでなぜ残業扱いされるのか

私たちの会社の方針としては、新人の間は残業してはいけないことになっている。いつまでが新人期間に属するのかは定かではないし、同期の中には既にサービス残業を強いられている部署もあったりするのだが、私の部署はそこら辺の取り組みがしっかりしているようで、定時時刻になると強制的に帰らされる。

 

こういった取り組みは本来なら推奨されるべきなのかもしれない。新人の期間からサービス残業を強いられたりするブラック企業が溢れている現状への対策だからだ。ワークライフバランスを重視する人、アフター5を充実させたい人にとっては、私が置かれている環境はきっと素晴らしいものなのだろう。

 

しかし、これは柔軟性に欠ける取り組みではないだろうか。例えば、私の場合、少なくとも現時点では、サービス残業でもなんでもいいからもっと会社に残って会社のこと、自分の部署のことを知りたいと思う。それに職場を離れてしまうと、会社の情報は一切持ち帰ることができないので、勉強もできない。

 

おそらく、私みたいな人もいるはずだ。なので、合意が取れるのであればサービス残業をさせてもよいのではないかと私は思う。そもそも何のアウトプットも出せないのだから、会社に残るだけで残業とみなす意味がわからない。

 

ただ、それを言ってしまえば、私たちは今通常業務で何のアウトプットも出すことはできないので、給料が発生すること自体がおかしい、という矛盾に陥ってしまう。その矛盾を解消するための論理が、「会社にいれば給料が発生する」という考え方に基づくので、定時を超えて会社にいることはやはり残業扱いになってしまうのだ。

 

だからこそ考え方を改めるべきだ。新人期間は、給料をもらっているというよりは投資されていると考えた方が良いそれは私だけでなく、日本の全ての新入社員にあてはまる。

 

日本の新卒一括採用は、いわゆるポテンシャル採用である。すなわち、将来的に収益力を身につけるであろう人材に対して投資する期間を設けますよ、そして、その投資額を入社して当面の間は給料として支給しますよ、ということだ。

 

つまり、拘束されることで給料が発生しているわけではない。ただ単に私たちは将来性を見込まれて投資されているにすぎないのだ。ただし、投資の条件として、自分自身で会社に貢献できるように勉強しなさいよ、そして最低限の勉強時間については、会社に拘束されますよ、ということなのだ。

 

ただし、新人の勉強はインプットだけではない。価値あるアウトプットをするための知識やスキルをインプットしていくことが目的とした、小さいアウトプット(雑務)も多く含まれる。

 

アウトプットには納期が必ず存在するため、期間内に終わらせる必要がある。なので、アウトプット型の業務に関しては仕事とみなしても良いだろう。もし、定時を超えてアウトプット型の業務をしているのであれば、残業と捉えるべきなのかもしれない。

 

しかし、インプット型の業務に関しては、会社が決めた労働(勉強)時間のみ給料(投資)が発生することにし、定時後は任意とすれば良いのではないか。インプットは納期もないので、必ずやる必要はないし、新人の意向に任せれば良いと思う。

 

この考えを悪用してサービス残業を強要してしまっては本末転倒だが、新人自身がインプットを望むのであれば、それはただの勉強とみなせばよい。それに、最低拘束時間についての投資額は出ているので、それ意向に残業代として支払う必要はない、ということにすればいい。そうすれば、会社に残っていることが必ずしも残業にはならず、行動の幅が広がると思うのだが。