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∑考=人

そして今日も考える。

無駄なことにも意味はあるとは言うけれど

「無駄なことにも意味はある」。良い言葉です。私も好きな言葉です。しかし、これは極論でしかありません。もしも、自分の行動に対して、ただひたすら「無駄なことにも意味はある」とポジティブに考え取り組んでいるだけであれば、もう少し掘り下げる必要があります。

 

まず持つべきは「どの程度の意味があるのか?」という視点です。もし仮に人生が無限に続くのであれば、程度について考える必要はありません。しかし、みなさんご存知のように、人生は有限です。つまり、選択できる行動に限りがあるということです。

 

選択するためには、比較する必要があります。そして、比較するには、定量的、定性的に物事を考えなければなりません。だからこそ、意味を語る前に、その程度についても考えなければならないのです。

 

とは言え、意味の程度は客観的に定まるものではありません。ある人にとっては意味あることも、別のある人にとっては大した意味を成さないこともよくあります。それは価値観の違いや目的の違いによるものです。

 

逆に言えば、自分の価値観や目的を認識していないと、実は自分にとってはあまり意味のないことをやり兼ねない危険がある、ということでもあります。励みとなる言葉ではありますが、そこには色んな間違いも含まれてしまっているのです。

 

会社で働くと、無意味に思える仕事がたくさんあります。膨大なドキュメントを作成したり、5分で終わるような会議を1時間かけてウダウダ議論したり。このような業務は様々なところで無意味だと語られていますが、意味の感じ方は人それぞれです。それは個人と法人でも異なるということです。

 

会社に入ると確実に無駄に思える業務というのは沢山あります。それが嫌で仕事を辞めていく人もいるでしょう。もちろん、それは1つの選択としてはアリだと思います。ただ、年配の方の多くは、「石の上にも3年」と考えているのも事実です。それは、「無駄なことにも意味はある」という考え方とも似通っています。

 

しかし、ただひたすら耐える、というのは1つの方法論に過ぎません。安易に「無駄なことにも意味はある」と考えるよりは、「無駄に思えることにどうやって意味付けをしていくのか」を模索する方が、より意味のある行動に繋がるのではないでしょうか。どちらにせよ、「意味」という言葉が意味するものを主観的に考える必要はありそうです。