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そして今日も考える。

挨拶なんてやめちまえ

電話応対に引き続き、社会人の基本動作である挨拶について。人間にとっての基本動作とう位置づけかもしれませんね。そんな挨拶について考えてみます。

挨拶のメリット

挨拶の目的は?と聞かれれば、おそらく良い信頼関係を構築するため、という回答が無難かと思います(特にビジネスの現場では)。他にも、元気が出る、とか、純粋に気分がいいといった意見もあるでしょう。しかし、それは挨拶するメリットではなく挨拶されるメリットです。挨拶のメリットと言えば、同じ区分のように聞こえますが、本質的には540°、いや900°違います。

 

このように、利他主義ベースの考え方がルール化されるのは日本では一般的です。例えば、「困っている人を見たら助けてあげなさい」という暗黙のルールも、助ける側の人のメリットに関しては何も考慮されていないのです。

挨拶を義務化させることに意味はあるのか?

昔働いていたパチンコ屋の一つに、対面で一人一人に対して「〇〇さん、こんにちは」と名前付けで挨拶する、というのがルール化されてる店がありました。そこは大きな店舗で、スタッフが1日30人ぐらいいたため、出勤早々30回も「こんにちは」を言わないといけないのです。

 

実はここまで徹底されていると、確かに挨拶も悪くないな、と思えます。特に新人の頃は、それによって、自分の名前を覚えてもらったり、逆に自分が店のスタッフの名前を覚えることができたりします。(実際、1ヶ月で約100人の名前と顔をセットで覚えることができました。)まさに良い信頼関係の構築に繋がっているわけです。

 

ただし、全員が徹底しているわけではありません。役職者には挨拶するけど、他のスタッフには気まぐれ、あるいは挨拶する人としない人を分けている人もいました。特に、働いた期間が長くなるほど、そうなる傾向にありました。

 

つまり、挨拶は人間関係構築の潤滑油のような役割こそ果たせますが、それ以上の効果はないのです。挨拶をしたから全ての人と仲良くなれるわけもありません。そして、全ての人と仲良くなる必要もちろんありません。

 

逆に、仲良くなってから挨拶をするようになることも多々あります。それが本来あるべき姿でしょう。小学生でも、友人に会った時、別れる時、自然と挨拶をするでしょう。それは義務ではありません。挨拶をしたい関係性だから挨拶をするのです。こう考えてみると挨拶を義務化するメリットっていったいどれほどのものがあるのでしょうか。

挨拶なんてしたくない人もいっぱいいる

私が現在勤めている会社はまともに挨拶できる人がいません。大半が、言われたらボソボソっと何か言う、あるいは何も言わない。気持ちの良い挨拶を帰してくれるのは、1、2名と清掃のおばちゃんぐらいです。自己啓発書によると、挨拶のできない会社は潰れるそうなので、今後危ないかもしれないですね。

 

そういう状況に直面した時に何を感じますか。人には挨拶しろといって自分は挨拶しないとかふざけんな?私の同期はそんな風に言います。ただ私はこう思うんですよ。あーみんな挨拶なんて本当はしたくないんだなーと。

 

事細かに言えば、挨拶をされるメリットよりも挨拶をするデメリットの方を強く感じている人が多いのです。すると結論が導かれます。挨拶なんてやめれば?

やりたい人だけやりたい時だけやりたい人にだけやればいい

挨拶することにメリットを感じていない人が挨拶をすることに大きな意味はありません。イヤイヤ挨拶をしたって、良い人間関係は築けませんし、一緒に仕事をして会話をした方がよっぽど良い信頼関係は築けます。挨拶をする関係にもなれます。

 

人間ならば、声を出すのが面倒なとき、人と接するのが面倒な時もあるでしょう。あるいはもっと根本的に、人に声をかけるのが苦手な人もいるでしょうし、声をかけたくない相手もいるでしょう。それらの人全てに挨拶しようとするから疲れるのです。

 

そもそも、挨拶の目的である、全ての人と良い人間関係を築くことにも個人にとっては大したメリットではありません。そのメリットを享受するのは会社です。良い人間関係で会社が回っている方が、生産性が上がるからです。なので、そんなことにストレスを感じるのはやめましょう。

 

とは言うものの、挨拶をしないことによるデメリットも存在します。なので、自分が挨拶をすることによる利益と犠牲、挨拶をしないことによる利益と犠牲、それらを比較した上で、どうするか決めるのが一番良いでしょうね。

 

ちなみに、私は挨拶をされても挨拶の返せない社会人を軽蔑しています。