∑考=人

そして今日も考える。

HowだけでなくWhatにもこだわる

気づけばもう7月も終わる。新入社員になって大した成長を実感することもないまま、4ヶ月の日々が過ぎた。もう1/3年目だ。「社会人1年目は長い」なんて誰が言ったのだろう。

 

ことあるごとに目標を文書化させられるわけであるが、この先の見えない状況の中でどうやって目標を設定していけばいいのだろうか。みんなはどの程度言語化した目標を意識しているのだろうか。

 

少し前の研修の最後に決意表明という形で自分の目標を発表する機会があった。私は本当にありふれた模範解答のような答えにした。無理矢理具体的にして嘘を書くよりは、抽象的でも今の自分が本当に目標としていることを書いたつもりだ。ただ、人に聞かせる内容としてはあまり出来の良いものではなかったとは思う。

 

他の人はというと、私に比べれば具体的だった。とは言え、結局のところ、プロジェクトマネージャーになるだのコンサルタントになるだの、その程度のものだ。ただ、私も含め、皆の目標には共通点があった。私たちは、与えられた枠組みの中で目標設定をしてしまっていた

 

「私はこんな部署に配属されました」→「私の部署はこんなことをやっています」→「だから私は将来こんなことをやりたいと思います」こんな三段論法の主張になっている人が極めて多かった。もはやテンプレートである。

 

私たちのような人種は与えられた制約の中で最適な目標を設定し、そこに向かって努力するのが得意なのだろう。偏差値という指標を与えられれば、高い数値を目指し、就職が強制されれば、ランキングの高い会社に入ることを目指す。そして、その目標を達成してきた。

 

それはそれで一つの長所ではあるかもしれない。ただ、そういう生き方をしてきた私たちは、制約のない状況の中でWhatを考える力が圧倒的に不足している。世界はこんなに自由であるのに、制約条件の中でしか自分が取り組むべきことを定義できないでいるのだ。

 

正直に言うと、私自身はWhatは何でもいいと思っている。強いこだわりがあるのはHowだからだ。結局、面白いのはいつもプロセスで、達成するのが何であるかはあんまり興味がない。しかし、Whatも自分の価値観にフィットするものであれば、それだけプロセスも面白いものになるのは間違いない。だから何というか、Howだけで妥協するのはやめにした方がいいと思ってる。

 

与えられた業務の中で目標を設定するのはもちろん大切である。しかし、それを自分の最上位の目標に位置づける必要はないんじゃないだろうか。それが本当に自分のやりたいことであるなら素晴らしいが、そうではないならば、もっと別の制約のない自由な発想で目標らしきものを構想しておくべきなのだと思う。