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∑考=人 〜プロメテウス〜

そして今日も考える。

人生にモラトリアムなどない

とあるアンケート結果によると、早く大人になりたいと望む子供は80%程度にものぼるそうだ。この結果に対してどう思うだろうか。当然の結果?それともありえない?

 

私自身の子供時代を振り返ってみても、確かに大人になりたいと思うことは何度かあった。酒やタバコを堂々と嗜むことはできないし、夜出歩くだけで親や警察に叱られる。親の小遣いが生命線であり、その金額でできることなど限られている。パチンコや風俗などの遊びもできない。

 

子供は制限が多く、やりたくてもできないことが多い、すなわち子供は不自由なのだ。実際早く大人になりたいと思う理由のほとんどは、仕事や結婚など、大人にならなければできないことがしたい、という趣旨のものが多い。中には、勉強したくないからというネガティブなものもある(結構主力な理由だったりする)。

 

一方で、これまたとあるアンケート結果によると、子供に戻りたいと望む大人は60%程度存在するらしい。つまり、半分近くの人は子供の時には早く大人になりたいと望みながらも、いざ大人になってみると子供の方が良かったと感じている、ということを意味する。こちらに対しては共感を示す人が多いんじゃないだろうか。

 

私の周囲にも昔に戻りたいと言及する人はたくさんいる。そして、私にも子供に戻りたい心情を抱く大人達の気持ちは理解できる。大人になってみて初めて気づくことだが、実は子供の方が自由だからである。

 

子供の頭では、大人こそが自由であり子供は不自由だと思うのに対し、大人の頭では、子供こそが自由であり大人は不自由だと感じるという矛盾にぶち当たるのだ。共通しているのは、子供にせよ大人にせよ、自由を渇望しているということだ。

 

とは言え、子供が抱える不自由と、大人が抱える不自由には圧倒的な違いがある。やりたくてもできないことが多い(かわりにやりたくないことは免除される)のが子供であり、やりたくなくてもやらなくてはならないことが多い(かわりにやりたいことはできる)のが大人なのだ。責任と自由というトレードオフの関係である。

 

私はたぶんどちらかと言えば、後者寄りの考え方を持っているのだと思う。だからあまり昔に戻りたいという気持ちを抱くことはない。あの頃は楽しかったなと感慨深い気持ちになることはもちろんある。しかし、その頃に戻らなければできないようなことで今なお日常的にやりたいと思えることなど一つも思い浮かばないからだ。そういう意味では、昔よりもやりたいことが明確になっている、という可能性もある。

 

一方で、前者よりの価値観で生きている人は、過去への後退を切に願うのかもしれない。やりたくないことをやらなくていい状態が幸せ、というのも一つの価値観だろう。あるいは、どうせやりたいこともないなら、せめてやりたくないことはやらなくていい世界を望む、という思考プロセスを経ている人もいるだろう。だからこそ、それなりの自由があって、それなりの責任しかない大学生ぐらいの時期が一番楽しいと感じるんじゃないだろうか。

 

大学生というのは、本当に自由で責任も小さい夢のような期間である。何もかもが許される。モラトリアムというレトリックは実に上手いと思う。ただし、モラトリアムのような期間ではあっても、モラトリアムではない。受け売りの言葉を借りるのであれば、「人生にモラトリアムなどない」のだ。将来の自由を先取りしているに過ぎない。

 

一方で、モラトリアムとは本来答えを見つけるために用意された時間なのである。だからその時期に答えを見つけられなかった人たちは逆に言えばモラトリアムが延長されてしまうと考えることもできる。社会人のモラトリアムは大学生のモラトリアムとは全く異なることは言うまでもない。

 

とは言え、それもまた人生なのだろう。