∑考=人

そして今日も考える。

文章を書くのが上手くなる方法

入社して間もない頃の集団研修で、自分のクラス担任であった先輩社員に私たちから質問できる時間が設けられていた。その時に、クラスの1人がこんな素朴な質問をした。「どうすれば、文章を書くのが上手くなりますか?」と。

 

この手の質問に対する答えは、実はおおよそ確立されている。上手くなるために日常的にできる行動という意味で答えるならば、本を読むであったり、実際に文章を書いてみる、などだ。また、実際に文章を意識する時の注意点という観点で答えるならば、読み手になったつもりで書く、とか、一文を短くとか。まぁ大体そんな感じだ。書店やネットの9割の回答はこうなっている。

 

これは確かに間違っていないし、むしろ本質的な回答である。ただ、文章を全くかけない人がこれらの方法を知ったところで、それを文章に盛り込めるわけではない。本質的であるがゆえに抽象的であり、体現することと理解することに大きな乖離があるからだ。

 

例えば、読み手になったつもりで書く、という方法。まさに、言うは易し行うは難し、である。実際に自分が読み手として他人の文章を読んでみたとしよう。その文章に対して、わかりにくいとケチを付けることはおそらく簡単だ。しかしながら、その文章をもっとわかりやすいものにするためにはどうすれば良いかを提言するのはかなり難しい。読み手本人にすら自分にとってわかりやすい書き方がわからないのに、読み手になったつもりでわかりやすい文章を書くことなんてできるわけがない。

 

話を元に戻そう。そんなわけで、質問を投げかけられた先輩社員からも上記に挙げたような回答が返ってくるのだろうと、私は鷹をくくっていた。ただ、その人の回答は至ってシンプルであり、しかも私にとっては新しいものであった。

 

「適切なフレームワークを使えば、なんとなく様になるよ。」

 

私はこんな風に考えたことはなかったが、言われてみれば実に的を射ているのだ。例えば、卒業論文などの導入部に必ず登場する、背景、従来研究、研究目的などがこのフレームワークに当たる。多くのビジネス文書でほぼ同様のフォーマットが定められているのも、その方が読み手にとって理解しやすい、という事実があるからだろう。

 

これは何も読み手にとって理解しやすいだけではない。何を書くのかが明確になっていると文章は極めて書きやすくなる。私は読者に不親切なので、気まぐれでしか章タイトルを付けないが、やはり自分の頭の中ではだいたい文章の構成が既に出来上がっている。おそらく、私の文章は基本的には毎回同じような構成になっているはずだ。それこそが私がフレームワークを使っていることに他ならない。

 

そして、文章のフレームワークを学ぶために必要なのは、文章術のビジネス書を読んでフォーマットを記憶することではない。本を読むこと文章を書くことである。冒頭で述べた、文章がうまくなる方法がここで再び登場というわけだ。

 

本を日常的に読んでいると、著者がどういう構成で文章を展開しているかが何となくわかるし、それを踏まえて文章を書いてみると、自ずとそういう構成に従った書き味になっていくものだ。(ただし、「〇〇になるための50の方法」みたいな読みやすい自己啓発書の類ではなく、たった一つの結論を述べるために体系立てられたやや厚めの本が望ましい。)

 

小学生の頃には原稿用紙400文字の読書感想文を書き上げるのに3日かかった私が、ほんの1時間でその3倍以上の文章量を書けるようになったのも、読書やブログを通じてフレームワークを学んだからだと確信している。スポーツ感覚で身につくものなので、フレームワークを学ぶ、というよりも型を身につける、といった方が表現としては適切かもしれない。

 

もちろん、先輩社員の言葉にあったように、「何となく様になる」程度であるのも事実だ。神は細部に宿るもの。やはり、簡潔な表現を心がけたり、主語と述語の配置に気を使うことも良い文章を書くためには必要である。とは言え、フレームワークを持っているだけで、全く文章が書けない人と一線を画することができるのは間違いはない。