∑考=人 〜プロメテウス〜

そして今日も考える。

友人を一度見直してみては

先週の日曜日、突然私の携帯に面識のない同期からラインで連絡が来た。仮にその人物をBとする。Bの携帯を使って、実際に連絡をしてきたのは私の仲の良い同期であり(Aとする)、ワケあって携帯も財布も家の鍵もないから今日家に泊めて欲しいというのだ。

 

客観的にみればもちろん迷惑な話でもあるが、聞きたいこともたくさんあったので、とりあえず承諾することにした。結局、次の日から仕事が始まるという中、深夜12時を過ぎた頃にその同期Aはやってきた。

 

事の経緯を説明すると、Aは土日にかけて他の同期たちとスノボーに行っていたという。レンタカー2台で福島県に向かったそうだ。そこまでならなんとも羨ましい、楽しそうな話である。

 

ただ、帰るときになって、一台の車の鍵がないことに気づいたのだという。気づいたのはもう夕方であり、車を置いて帰るほかなかったそうだ。そして、車の中にはBを含む複数名の荷物類が入っており、Aと同じような状況の同期もいた。何より車の鍵を無くしたのはAである。

 

幸い、Aと同じような状況になってしまった人は、帰る場所がないといった事態には陥らなかったらしい。ただ、Aだけが何もできない状態になり、私の家に押しかけることになったのだ。

 

私はこの件についてAが来るまでずっと疑問に思っていたことがある。Bの家に泊まればいいのではないか?ということだ。一緒にスノボーに行く中であり、こうして携帯を借りてわざわざ家の遠い私に連絡をするぐらいなら、Bの家に泊まる方が合理的であろう。

 

しかし、Aの話によれば、Bは家に泊めることを拒み、携帯を貸すことさえしぶしぶであったそうだ。(他の同期も同様の態度であったらしい)。そんな態度を取られたことにAはずっと腹を立てていた。自分が深刻な状況に置かれているにも関わらず、何の気遣いも見せない同期に幻滅したと言っていた。会社の同期なんてこんなものかと嘆いていた。

 

この出来事についてどう思われるだろうか。大別すれば、A自身が感じた「B(や他の同期)が悪い(冷たい)」、あるいは「Aが悪い」のどちらかになるだろう。ちなみに私は「Bたちが冷たい」と思った。おそらく、地元でこんな事件が起こっても助けてくれる人はたくさんいるからだ。

 

とは言え、AはAで反省すべき点が山ほどある。今回の例で言えば、鍵を無くして他の人に大迷惑をかけているにもかかわらず、被害者意識を感じているところなんて大問題だとは思う。ただそれは私の価値観に過ぎないし、特にこれに関して提言はしなかった。何よりそういうことは自分で気づかない限り意味がないと経験的に知っている。

 

あと一点、悪いところがあるとすれば友達の輪を広げようとしすぎていることだろう。友達を作ることは完全な善として捉えられることが多いし、それは私の会社とて同じだ。友達が多い方が体裁も良い。

 

しかし、友達の輪が広がれば広がるほど、一つ一つの繋がりは弱くなる。そんな弱い繋がりは友達の証にはなりえない。ただの知人。ただの同期である。いつか仲良くなるための基盤にはなっても、今すぐ仲良くはなれないものだ。

 

ご察しの通り、私には友人は少ない。周りには上手く立ちまわっていると良く言われるが、そもそも現時点で友人だと認識しているのは、冗談ではなく、同姓異性含め同期の1%だけである。30%ぐらいがただの知人だ。そして、その状況に対して問題を感じたことは一度もない。

 

30%も友達がいるというのは、友達の定義を見なおしたほうが良いんじゃないかと個人的には思うんだけどどうだろうか。