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∑考=人 〜プロメテウス〜

そして今日も考える。

自分の見ている世界が全てじゃない

冬ですね。寒いですね。雪国ではいい感じに雪が積もってきているんではないでしょうか。雪といえば、スノボ。私の同期たちもフェイスブックに続々とスノボの写真をアップしています。

 

にしても私が驚きなのは、スノボに行く人の多さだけでなく、そのほとんどがウェアを所持していること、さらに言えば、板やブーツまで所持していることです。スノボってここまで人気のスポーツになっていたのかーと驚かずにはいられません。

 

もしかして市場が拡大しているのか?そう思ったので調べてみました。結果は・・・。めちゃくちゃ縮小していました。スキーに関しては、1987年公開の「私をスキーに連れてって」という映画が元となりスキーブームが到来したそうで、1993年頃に1860万人というピークを迎えています。

 

スノボもスキー人口に引っ張られるようにして、2000年頃にピークの500万人超えを果たしていますが、2012年時点での参加人口は実に240万人と約半数以下にまで落ち込んでいます。

 

個人的にこのデータは凄く面白かったです。はっきり言って、私の身近にいる同期の中でスノボに行ったことがない、なんて言うのは恥ずかしいぐらいのマイノリティだし、むしろウェアを持っていないだけでも「えっマジで?」ぐらいの反応をされます。でも日本全体で見たときにはむしろ毎年スノボに行く、なんて人の方がはるかに珍しいのです。

 

近年は日本の中でも多様化は広がっているとか言われます。実際全国的にみれば色んな人が登場し、色んな新しいサービス、新しい価値観も生まれています。でもそれって全国的に見たらの話であって、局所的にはむしろ同質化が進んでいるんではないか、と思います。

 

特に私が今属している組織の価値観もそうです。組織に属していれば少なからず染まってしまうのが人間ですが、実はプライベート、すなわち組織に属していない時間までも、その組織の影響を受けてしまうのが人間です。

 

アルバイトをしていた時どうでしたか。私なんかも勤務外の時間まで完全に同僚のライフスタイルに染まってしまっていました。結局何も深く考えず、ただみんなと同じようにしていれば安心だったからです。

 

でも「みんな」って誰ですか。今自分のすぐ近くにいる人たちですか。今同じ組織に属している人たちですか。それはいつまでも自分にとって「みんな」ですか。今の自分にとっての「みんな」は過去の自分にとっての「みんな」と同じですか。

 

「みんな」っていうのは、自分が安心するためだけに自分の中で勝手に作り出された概念に過ぎないんですね。そしてその概念が出来上がると、「みんな」に同質化していく、それが人間です。

 

私の母親はよく「みんなって誰よ?」と私に聞いてきました。例えば物を買って欲しい時なんかにその口実として「みんな持っているから」という非論理的な論理を使った時にはそう聞かれました。私は考えつく限りの友人を列挙しました。列挙し終わった後に母親が発する言葉は決まって、「それってみんなじゃないよね」でした。さらに「みんなはみんな、あなたはあなた」とも言われました。

 

子供相手に何とも大人気ない母親ですが、これって本質捉えてますよね。いや本当に。「みんな」って全てってことですよ。大多数という意味でもなく、身近にあるものという意味でもない。

 

自分が思っている「みんな」なんてのは本当の「皆」から見ればごく一部でしかないし、そもそも今自分が思っている「みんな」と数年後の自分にとっての「みんな」も完全に別物になってるんですよね。この年齢になって本気で思うのは、「みんな」の思考・行動なんかより、特定の「アイツ」や「この人」の思考・行動の方がよっぽど大切だということです。

 

自分の見ている世界が全てじゃない。ちょっと自分の身の周りの価値観に違和感を感じたらそう考えた方がいいです。もしかすると、それは別に視野を広げればマイノリティでも何でもないのかもしれません。