∑考=人

そして今日も考える。

目標がないと人生は退屈だ

休みなんか要らない。仕事に没頭したい。最近はそう思うことが良くある。過去に友人からもそういう意見を耳にしたことがあった。

 

休むこともなく仕事に没頭したいなんて、どんだけ仕事好きやねん、と思われるかもしれない。でも、そういう願望を今まさに抱きつつある自分の心情を客観的に推し量るに、仕事が楽しいとか仕事が面白いとかとは全く異なる。

 

僕が仕事に没頭したいと思うのは、休みの日に頭を切り替えるのが面倒くさいからである。有効に時間を使えないし、色んな人との繋がりなども考えなくてはならない。休み明けに仕事に行くのが億劫である。すでにブルーマンデー症候群である。

 

ずっと仕事をしていれば、「休日に何をしようか」「誰と遊ぼうか」とかその手の類のことを考える必要がなくなる。また、「明日から仕事嫌だなー」なんて考えることもない。毎日仕事があるのが習慣になるからだ。一つのことに没頭できさえすれば、軽いフロー状態になる。

 

私はずっと、フローになることと幸せであることはほぼ同義だと思っていた。ただ、ここにはちょっとばかり違いがあることに気づいた。例えば、私は何もしたくない時に、ひたすらタイピングゲームをしたり、ひたすらドラマやアニメを鑑賞することがある。

 

面倒くさい悩みの種があるせいで何も手につかないときでも、こういった単純作業はすぐに取り掛かることができるし、簡単に没頭することができるのだ。これも一種のフロー状態であると思う。ただ、その時間が幸せなのか、というとかなり疑問が残る。これはただの現実逃避であり、言ってみればパチンコを打っているのとあまり変わらない。

 

今の私が仕事に没頭したいというのも、いわば現実逃避したい、という感情に近いのかもしれない。もちろん、現実逃避の行動として選ぶくらいなので、仕事自体が私にとってそれほど嫌なものではないことは証明されている。仕事が楽しくなさ過ぎて今すぐにでも辞めたい、みたいな人に比べれば随分マシではあるのだろう。

 

仕事が嫌で現実逃避をする人とは違い、仕事で現実逃避をしようとしているのである。一体何から逃れようとしているのか。それは退屈である。友人と遊んでも退屈だし、休みの日家でゴロゴロしていても退屈だ。強いて言えば、仕事をしている時が一番退屈しない。でもそれは結局退屈していないだけである。

 

退屈しないために必要なものとは何か。目標と、目標までの距離を測る尺度。これだけ。明日からの研修を終えれば、たぶん一人で割とちゃんとしたシステム設計ができるようになる見込みだ。というわけで、そろそろ動き出そうと思う。