∑考=人

そして今日も考える。

色んな人が決定権を持つから時間がかかる

プロジェクトがやや遅延している。仕様変更による大幅なスケジュール延長があったのだが、それに対してももはやオンスケではない。その原因について色々と自分なりに考察を重ねてみたのだが、そもそも関わっている人が多すぎることに尽きる。

 

よく言われることであるが、日本の大企業は顧客との大事な打ち合わせにトップが出向いたりはしない。それが何を意味するのかというと、その打ち合わせで登場した顧客の要望に対して、即刻YESかNOかの判断ができないのだ。結局持ち帰って内部で調整するだけの時間が別途必要になる。

 

この対策として、我々は顧客の要望をやや先回りし、提案ベースで話を進めることが多い。いかにニーズを汲み取り提案していくかこそが付加価値である、という風潮が近年は強くなっているので、そういうビジネス時代に即した背景ももちろんあるだろう。

 

一方で、こちらが良い提案をすれば、自分たちの思い通りに物事を運ぶことができるので、都合が良いという側面もある。体感としては後者の方が重要である。「未来を予測する最前の方法は、それを発明することだ」というスティーブジョブズ(?)の言葉に似ている。

 

ただ、これだけでは不十分である。それはなぜか。

 

例えば、我々が経営コンサルタントならば、提案する相手は経営層ということになる。経営層の中で議論になる可能性はあっても、そこで意見がまとまれば即決定することは可能だ。(実態がどうかは知らないが。)

 

ただし、我々はSEである。提案する相手は、顧客企業のシステム担当部署内のトップ層ということになる。システム担当のトップなのだから、システムの仕様についての決定権ぐらい持っているだろうと思いきや、そんなに甘くないのが日本の会社なのだ。

 

例えば、顧客のさらに先にいる顧客についてシステム担当の人は良くわかっていないため、そういった顧客担当の部署との調整が必要になる場合がある。また、最近ではシステムが経営戦略の根幹にも関わってくるため、単純に上位層へのエスカレーションが必要になることもある。システムが重要だとしても、非IT系企業においてはシステム担当の部署の地位はそれほど高くないのが現状だ。

 

そんなこともあり、私たちは今顧客都合によりプロジェクトが遅延している。要するに基本設計工程に差し掛かっているのに、要件を決めてくれないので、作業に着手することができないのだ。しかし、私たちは当初の計画通りにシステム開発を完了させなければならない上、コストを上乗せすることもできないのである。

 

実際には当初の予定よりもシステムのリリース日程が早められることの方が多いし、コストを下げられる場合もあるという。それでいてきっちり瑕疵担保責任を負わされるのである。一体どこまで顧客の我儘を通すのだろうか。

 

私がこの会社に入った時に経営層の人からこう言われたことがある。我々は情報産業ではなく、サービス業である、と。これは所謂、情報サービスを提供しているという意味ではなく、そのままの意味の、例えば接客業なんかが該当するサービス業に近い意味合いで使われていたのだと思う。

 

無駄に決定権を持っている人が多く、そのために無駄な仕事が増え、期限が延長される。このことが負のサイクルを生み出している。

 

我々は、お客さんと下請け会社の協働者とのいわば仲介役だ。お客さんからの情報を加工して協働者に伝える。協働者が作成した成果物をRvして、お客さんに持っていく。基本的にはそういう流れで仕事は進む。

 

そのため、例えば、お客さんが情報提供の期限を守ってくれないとする。この場合、協働者にとっては我々が期限を守れなかったことになるのだ。当然、協働者が成果物作成を完了させるための期限も普通にやっていれば遅延する。

 

これが当たり前になると、どうせ相手も期限守ってくれないし、自分たちも守る必要はないか、みたいな空気になる。こういう期限に対する責任感というのは学生特有のものではなく、場の空気感によって構成されるものなのだと痛感した。

 

ただ、このような思想のもと行動を続けていて損害を被るのは我々である。だから私たちは「調整力」がいかに重要かを意識している。でも、所詮調整力なんてのは、日本の会社間で連携しようとするから必要になるんじゃないのか。色んな人が決定権を持ってるから必要になるんじゃないのか。私はそんな風に思う。