∑考=人

そして今日も考える。

「やっておいた方が無難だ」と思えることをいかに無くすかで人生の質は変わると思う

私の勤務先のビルには喫煙室があります。その部屋には一つだけ窓がついています。開かないんですけど。で、窓際にはちょっと物を置くスペースとかがあるので、灰皿を置いて、窓からの景色を眺めながらタバコを吸うわけです。

 

朝一番に行くと、清掃スタッフが灰皿をきれいにして机の上に重ねてある状態で整っています。それを窓際に持っていって私はタバコを吸うわけです。タバコを吸い終わったら、灰缶の中に吸い殻を捨て、喫煙室を後にする、というのが私の日課です。

 

もちろん、タバコを吸うのは朝だけではありません。一時間に一回程度は喫煙室に向かいます。夕方ぐらいになると、面白いことが起こるんですね。窓際に灰皿が5個、6個と置かれているんです。いやいや、一個あれば十分でしょ。

 

なんで、こういうことが起こったのか。私が朝一にタバコを吸った後の灰皿は窓際に置きっぱなしです。すると、次にタバコを吸いに来た人が、『あっ、タバコを吸い終わった後の灰皿は窓際に置くルールがあるんだ』と勘違いをしていたわけです。

 

窓際に置かれる灰皿の数が増えるほど、よりルールとしての信憑性は高まります。結果として、窓際でタバコを吸っていない人ですら、タバコを吸い終わったら窓際に灰皿を置いていたのです。

 

まぁこれは一つの事例に過ぎませんが、私の会社には暗黙のルールをくみ取ってその通りに実行する人が圧倒的に多いです。良く言えば、空気を読める、ということであり、悪く言えば、目的を考えていない、ということです。

 

私ならすぐに考えますね。吸い殻を灰缶に捨てる、というのはまぁ常識の範疇で考えても当然のルールかなとは思いますが、使い終わった灰皿を窓際に置くルールは意味がわかりませんからね。そのルールは私の個人的な嗜好により作り出されたものに過ぎませんし。

 

まぁ別に灰皿の置き方なんてくだらないことですけど、普段からこういうことをしている人たちは結局通常の業務でもおんなじようなことするんですよ。とりあえず既存のルールを踏襲する。既存のルールが正しいと信じて止まないのです。

 

ルールとして明文化もされていないのに、なんとなくこんな感じだろうというルールに沿って物事を進めます。彼らは賢いのかバカなのかわかりませんか、こういうルールになっているのには何かしらの意図があるはずだ、と考えるんですね。そして、そのどんな意図かすらもわからないものを勝手に尊重して、無駄なことを続けるんです。業務の8割方がそうじゃないかと個人的には思います。

 

もちろん、わかりますよ。昔の人が考えた意図を追いかけるのは大変ですからね。すでにその人がいなくなっていたり、だれもその意図を理解していないままルールだけが残っている業務なんてたくさんあります。例えば、毎日の朝会とか打ち合わせもその一つに含まれるでしょう。

 

はっきり言って、本当に賢い人は「やらない」という選択ができる人ですよ。これは大事、あれはやっといた方がいい、なんて誰でも言えます。何の価値もないです。でも大事なこと全部はできないんです。時間は有限ですから。

 

あるべき姿をちゃんと考えたら、今のルールっておかしくない?そもそもなんでこうなってるの?とか思うはずなんですよね。変えちゃばいいと思うんですよ。そもそも時代に合わせてルールなんて変えていくべきものですし。変えないと元々の良かった点もきっと見えてきません。まぁ変えると責任が発生するので、それが嫌な人が多いだけなのかもしれませんが。

 

「やっておいた方が無難だ」と思えることをいかにやらないか。何かを良くするにはそれしかないでしょう。