∑考=人

そして今日も考える。

「もう飽きた」と思ったけどやっぱりやりたくなることこそ真の欲求

人間の欲求はいつまでも持続するものではなく、うまくリセットされることによって周期的に発生するようになってるのかもしれない。

 

例えば食欲。ずっと食べてたらお腹いっぱいになって、もう要らないってなりますよね。でも時間が立つと必ずまたお腹がすく。睡眠なんかもそうです。ずっと寝てたら眠くなくなるし、起きて活動していればいずれは眠くなる。

 

上記の欲求はほぼ数時間周期でリセットされるものの例です。ただ欲求の種類によっては周期がいくらか異なります。

 

例として、タバコを吸いたいという欲求なんかはかなり短周期です。ただ、どんなヘビースモーカーでも一箱20本連続で吸う人はいません。つまり1本(あるいは2本程度)吸い終わった後にはもう吸いたくないという状況が少なからず生まれているんですね。

 

逆に周期がとても長いものもあります。承認欲なんかがこれに該当するのかなと私なんかは思います。人から認められたいというモチベーションで色んなことを頑張ったりしましたが、結局色んな人から認められたことを実感した後に、これ以上人から認められるために頑張るよりは、自分が好きなことを好きなようにやりたいと思うようになったりしたものです。

 

ただ、もう承認欲求が金輪際必要ないな、と思っていたのは私の勘違いだったことに最近は気づきました。今の私は会社の中で認められたいと思い始めているし、やっぱり努力をするためにはそういう欲求を人間は定期的に持ち続けるべきなのかもしれません。

 

人との繋がりについても同様です。私は基本的に一人が好きですが、結局ずっと一人でいれば、誰かに会いたくなるし話したくなるものです。で、ずっと誰かに会ったり話したりしていれば、また一人になりたくなる。そんな繰り返しです。

 

そして、愛欲もまた然りなのでしょう。何度も人と付き合って別れる度に、もう恋愛なんて一生しなくていいと常々思っていました。でも何回そう思っても、結局同じように誰かを好きになってしまうんですよね。定期的にリセットされるんです。

 

もう飽きた、と思ってずっと止めていても、時間が立ってみるとまたやりたくなることって実はいっぱいあるんですね。で、そういうことこそ自分の本当の欲求なんだろうな、と。そんなこと知ってるよって人沢山いると思うんですけど、バカなので漸く気づきました。

 

私はここ数年、もうこれ好きじゃないなと感じたらどんどん手放して生きてきました。多くの人はいつか必要になるかもしれないものを捨てられずに、色んな余裕を失っています。別に捨てたところで不要だったら問題ないし、必要であればまた手に入ればいい話です。

 

ただ、いつか必要になるかもしれない、ではなくいつか必ず必要になることがほぼ確定しているものに関してはわざわざ捨てる必要はない、むしろ捨てるべきではないのかもしれません。

 

私には今好きな人がいます。その人のことが好きだと自覚してから本当に色々悩みました。正直、告白してOKがもらえるかどうかなんかよりもこの先ちゃんと好きでいられるかどうかとか、そんな懸念を残したまま親密になろうとすることに問題はないのか、とか。

 

でも、だから諦めよう、という話にはできなかったんですね。本気で望む状態があるのに手に入れようとしない、なんて選択は私にはできません。だから、自分が正しいと信じてきた考え方を仮説レベルで少し変更しました。

 

そして今日、その人が彼女になりました。パチパチ。新しい考え方に基づき、これからやっていこうと思います。